インドの華┃器物語

ドイツのマイセン窯には、焼き物を学ぶ多くの日本人が見学に訪れます。その人たちは現地のマイスター(名人)たちに尊敬の念を込めて、いろいろ質問しますが、彼らはいつもこう答えるそうです。

「なぜわざわざここまで来て、そんな質問をするのかね。われわれの先生は日本の焼き物なんだ」

西洋の人々にとってお手本だった、日本のやきもの

彼らにとってお手本は日本の焼き物でした。
ヨーロッパに輸出された佐賀県有田町の伊万里焼でとりわけ人気があったのが、酒井田柿右衛門の焼き物でした。柿右衛門窯の特色は、地肌が乳白色の濁し手といわれる生地に、赤、黄、緑、青、金などの上絵具を施した錦手といわれる絢爛たるもの。

中でも赤は特に鮮やかで、柿の色があまりによくできたため、藩主の綱島侯から「柿右衛門」の名を賜ったといわれていますが、下絵のブルーと上絵の赤のコンビネーションが絶妙で、遠くヨーロッパの人びとにも気に入られたのでしょう。夕日に染まる赤い柿にヒントを得て、赤い色を出すことに成功した話は有名です。

時代とともに虎の絵柄が猫になっていった理由

初期のマイセン窯の先品には、裏印が違うだけで一見和食器かと思われるものがあります。マイセン窯を目標にしていた他の国の窯も、スタート時には和食器まがいをイメージデザインとしており、これらは「柿右衛門様式」と呼ばれています。今ならさしずめデザイン盗用で、デザイン料を支払わなければならないところです。

ところがヨーロッパの絵付師は竹も虎も見たことがなく、初期は何とか描いていたのでしょうが、人が代わり、時代が映るにつれて徐々に崩れ、虎は猫のようになり、ついには漫画のような虎になってしまいました。芝垣や梅の木の絵も同じ道をたどりました。

しかし、東洋の焼き物に対する固定観念はなかなか変えれず、基本的な構図とモチーフが入れ替わりながら、ヨーロッパの有名メーカーのいずれもが持っているパターンが完成しました。

芙蓉手、インドの華、ジャパン…どれも洋食器のデザイン

中国・名代に始まったデザインに芙蓉手(ふようで)があります。皿の周辺部を八等分した中に唐花などを配したもので、芙蓉の花が開いた感じの文様です。これも愛好され、マイセン窯、セーブル窯、ウィーン窯などの基本のデザインになりました。

またハンガリーの世界的名窯ヘレンドのデザインで、「インドの華」も柿右衛門様式のひとつ。150年の歴史を超えて今も愛好されています。

イギリスでも1880年、ロイヤルクラウンダービー者から古伊万里を映したその名も「ジャパン」という絵柄が作られ、現在も販売されています。

やがてヨーロッパにもロココ調の花柄やギリシャ・ローマ風の独自のデザインが生まれ、東洋のデザインと入れ替わっていきますが、ベースは日本、中国です。ただ洋食器ではインテリアとのコーディネートが主で、各時代の様式に合わせてデザインが決まっています。

出典元:ノリタケ食文化研究会編『器物語 知っておきたい食器の話』2000年,中日新聞社,72-73頁

<このコラムについて>
コラム『器物語』は、2000年に刊行された『器物語 知っておきたい食器の話』の本文を転載させていただいております。
本文の掲載をご承諾くださった株式会社ノリタケカンパニーリミテド様に心よりお礼申し上げます。

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編集部

カリーニョ編集部による記事です