ドイツでは┃器物語

磁器作りができなかった時代のヨーロッパ

有田の焼き物は伊万里焼として伊万里の港からオランダ東インド会社の手でヨーロッパに持ち込まれました。東洋の焼き物が輸入されるまで、ヨーロッパの食器は木、陶器、銀器、錫の合金のいずれかで、薄くて丈夫な白いガラス肌の磁器はせん望の的でした。

陸のシルクロードと並んで、南中国から東南アジアを結ぶセラミックロードといわれる航路が唐代末から伸び、元代に造船技術も急速に発展し、中国の茶葉と共に磁器製の茶器が、ヨーロッパ各国へ大量に輸出されました。

東インド会社が中国から輸入した量は1604年~1657年で約300万個。うち伊万里焼は1652年~1683年の31年間で190万個と、長崎の出島商館長の日誌に記録されています。これはオランダ一国の数量ですから、ほかの東インド会社の分も合わせると、膨大な焼き物がヨーロッパに運ばれました。古伊万里は日本の生んだ最初の国際ブランドとして現在でも名を知らしめています。

ヨーロッパ初の磁器窯「マイセン」誕生秘話

こうして東洋の焼き物は、17世紀のヨーロッパの貴族階級に行き渡ったと考えられ、コレクターもいました。その一人がドイツ・ザクセンのアウグスト王です。

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カリーニョ編集部による記事です