【ヨーロッパ陶磁器の旅 オーストリア編⑤最終回】ロースドルフ城「古伊万里再生プロジェクト」のこと

いよいよ陶磁器の旅の最終行程「帰国」--。

ただいま、ウィーン国際空港です。

少し早めに空港に着き、時間があるので、最後に超長文で締めます。笑

ハンガリー、ドイツ、チェコ、オーストリアを巡る3週間。

陶磁器・ガラスに関係する約50の大小さまざまな都市や村、約20の博物館,資料館を訪問し、食器やハプスブルク家に関係する作品・資料をシャワーのように日々浴び続けた、濃厚でちょっぴり?クレイジーな旅でした。

常に動き回っていたので、途中で日焼け対策が面倒になり、すっかり日焼けして真っ黒黒です。(笑)

この期間に、今後の仕事の資料や教材として使えそうな写真も沢山撮影できました。
バイエルン地方の「陶磁器街道」に関しては、日本語での情報が極めて少ないので、現地で得た情報や資料をまとめて、何かしら良い形で残していきたいなあと思っています。

日々印象的な人や物との出会いもありましたが、最終日の今日、長文になっても記録しておきたいのが、今回ウィーンを訪問した大きな目的の一つで、今回の投稿のタイトルにも記した「ロースドルフ城」の話です。

ウィーンから車で約1時間程の場所にある、古城ロースドルフ城。

このお城には、日本の古伊万里をはじめとした貴重な陶磁器が代々受け継がれてきました。
しかしその大部分が、第二次世界大戦で旧ソ連軍に占領された際に破壊されてしまったのです。

それらは現在、陶片となって、戦争遺産として城の美術館にて展示されていますが、訪れる人は少なく、学術的な裏付けもないまま今日に至っているとのこと。

(今も城主が居住している城内。中庭の噴水はプールになっていました)
(ロースドルフ城のまわりは自然豊かな風景)

ロースドルフ城に関しては、カリーニョがスタートした当初から注目していました。

ロースドルフ城にある、約一万点にのぼる陶片の学術的調査を行い、一部を日本へ里帰りさせ、日本の優れた修復技術により、できる限り元の姿を蘇らせようとする「古伊万里再生プロジェクト」。

この「古伊万里再生プロジェクト」は、数年前にオーストリア大使公邸で催された茶会で、茶道家の保科眞智子さん(プロジェクト代表)がロースドルフ城主のピアッティ夫妻と出会ったことがきっかけで発足されました。

(ちなみにピアッティ家は、熱狂的な磁器蒐集で有名なドレスデンのアウグスト強王の臣下にゆかりのある貴族の家系で、ハプスブルク家にも血縁を持つ中世以来の領主)

メディアを通して知る、明らかに「不自然な割れ方」をしている陶片達。

その存在を知ったときに、「何がそこであったのかを知りたい」という想いが募り、プロジェクトへコンタクトを取り、今年の4月に学習院大学で行われた、プロジェクトを監修されている荒川正明教授の講演会で、代表の保科さんや他プロジェクトメンバーの方々と初対面しました。

そして幸運にも、プロジェクト代表の保科さんもオーストリアにいらっしゃるタイミングで、今回のロースドルフ城への訪問が実現しました。

実際の陶片が並べられているお部屋に案内されたとき、言葉を失いました。

この3週間見てきた、ほかのどの陶磁器とも違う姿の陶磁器。
鳥肌が立ち、込み上げてくる感情に適切な言葉が思い浮かばずに、しばらく声が出ませんでした。

壁には、あえて侵攻の傷跡を示すために残された、ロシア語の看板。

旧ソ連軍が、銃で陶磁器たちを弄んでいたのでしょうか。

銃弾が貫通したせいで、中心がないお皿。
縁がバンバンと撃ち落とされた器……

「戦争は人を、非人道的なものにする」

という、荒川教授の言葉が蘇ってきました。

ここにあるものは、本来の「美術品」としての価値はもうありません。
美しさを愛でる存在では、もはや無くなっていました。

しかし、茶道家の保科さんのお言葉を借りると、やきものの完璧な姿をよしとする西洋文化に対して、私たち日本人には「わび(=不完全の美)」という、破片のように壊れてしまったものに対しても、慈しみと物語を紡ぐ感性があります。

今回訪問した先々で、ヨーロッパの陶磁器作りに携わる職人さん達が、日本の「金継ぎ」に非常に高い関心を抱いていることを肌で感じました。

継ぐことは新たな感動を生むーー
器たちが、本来とカタチを変えて、歴史や戦争を語る姿を、日本とオーストリアが友好150周年という節目に見ることができたことに、何か意味があるようにも思えました。

来年には、日本とオーストリアで展覧会を開催し、陶片の物語、調査および修復の成果を多くの方々にご覧いただけることになるそうです。

私が出来ることは本当に本当に微力ですが、このプロジェクトの存在を知らなかった方々に、こうやってSNSを通して発信し、「知っていただく」お手伝いをすることかと思い、この旅の最後に長々と紹介させていただきました。

来年の秋、日本で この陶片たちとの再会ができることを楽しみしています。
(保科さん、中川さん、皆川さん、ウィーンでは貴重な時間をありがとうございました*)

最後にになりましたが(まだ続くんかい笑)
今回の旅は、途中で友人と合流して、ふたりになったり、一人になったり。(ちなみに彼女とは解散し、今はウィーン空港で一人のんびりコーヒー飲みながら投稿しています。)

基本的にお互いに依存せず、自立して行動しあっていましたが、それでも心強い相棒が側にいる時期は、すっかりリラックスして、酔っ払ったり、駅でうたた寝したり、後半はすっかり頼っていました。笑

私の根っこは小心者なので(笑)、ひとりの時は気が張って、食事や睡眠が十分に取れなかった。だから、旅先でリラックスできる時間が持てたことは本当に有り難かったです。

何より、陶磁器業界に長く携わり、「(今から列車で通過する)タタの村は、モールツ・フィッシャーの生まれた場所で〜」とかブツブツ言う私の話も「あ、そうなんだ」と理解してくれたり、陶磁器(陶磁史)の知識を持つ彼女の存在は本当に貴重で、毎晩ビールやワインを飲みながら仕事の話を延々とする時間は、たまらなく幸せでした。(まぁ9割は私が一方的に話してばかりでしたがw)

彼女と旅先で合流できて良かったと心から感じています。アネゴ肌なのに自由人な姐さま。本当に感謝。
アミーゴのお守り、おつかれさまでした!

探究心は尽きず、もうすでに来年も再訪したい場所、新たに開拓したい世界を見出してしまいましたが、とにかく今回はお腹いっぱいです!

さぁ、愛する日本に、帰ろう。

この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。