【ヨーロッパ陶磁器の旅 ドイツ編②】ベルリン シャルロッテン宮殿の「磁器の間」

昨日のマイセンの詳細が書けないまま、毎日いろいろな場所を訪問しているので、とりあえず今日の報告。

今日のメインは、なんといってもベルリンにあるシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」を見ること。

ここで少し、フリードリヒ1世やシャルロッテンブルク宮殿のことをご説明しておきます。

フリードリヒ1世は、容姿は「猫背フリッツ」とあだ名されるような小男で、内向的で優柔不断な性格の上に、ルイ14世に憧れを抱く虚栄心の強い浪費家。父親のような偉大な君主とは言い難い人物だったようです。

彼は1679年にいとこのエリーザベトと結婚しますが、わずか4年後に妻が天然痘によって若くして死去します。その後1684年の2度目の結婚で、ゾフィー・シャルロッテと結婚します。

彼女が凄かった。

シャルロッテは、フランス語を巧みに話し、幅広い学問に精通しているだけでなく、幼い頃から両親から教わっていたというチェンバロを弾きこなすことができたそうです。


(彼女が愛用していたチェンバロ。当時流行していたシノワズリ(中国趣味)の柄が印象的。宮殿内には、ほかにも漆のチェンバロなども置いてありました)

さらに、哲学にも長けていたといい、当時有名な哲学者で数学者でもあったライプニッツとは、度々文通を重ねる中で、時には学問に関して議論することもあったとか。

ライプニッツが彼女について記したとされる記述によると、

“彼女は信じがたいほどの学識を持ち、深遠なる物事に関しても正しい結論を下すことができた”

とのこと。

シャルロッテとの対話は、ライプニッツのその後の著作に大きな影響を与えたといわれています。それくらい彼女の高い知性は並大抵の者ではなかったようですね。

そんなズバ抜けた高い知性と教養を持つシャルロッテのサロンには、多くの芸術家や知識人が集まったため、彼女のおかげで、この頃の都となっていたベルリンの文化レベルが上がっていきました。

才色兼備なシャルロッテに対して、愛人を多く持っていたフリードリヒ1世も、彼なりには大切にしていたみたいで、夫婦仲は悪くありませんでした。

そう、前置きが長くなりましたが、今回のコラムのメインとなる「シャルロッテンブルク宮殿」は、その名前からもわかるように、妻シャルロッテに、フリードリヒ1世が夏の離宮としてプレゼントしてあげたものだったのです。

まあ、この宮殿を送ることで彼女と距離を置いて、愛人とゆっくり過ごしたかったという諸説もありますが、いずれにしても日ごろから知性派の人々に囲まれた彼女が主となった離宮。
当時、宮殿には数々の音楽家や芸術家、知識人が出入りしたといい、彼女はここでより一層、学問や語学、芸術を嗜んでいたといいます。

そんなシャルロッテンブルク宮殿は、見どころが満載で、周り切るまでに休憩なしで5時間もかかってしまいましたが(そしてこの後、ポツダムに移動してサンスーシー宮殿を見に行くという・・・本当に今日は疲れた。汗)、今回私が訪問した一番の目的は、なんといっても、この宮殿を何よりも有名にしている、通称「磁器の間」を見に行くことです!

磁器の間といえば、彼女の中国や日本(伊万里・柿右衛門)の莫大な磁器コレクションを豪華に飾った部屋。

この当時、日本は江戸幕府。
鎖国政策により貿易が許されていたのは中国やオランダでしたが、これらの国を窓口としてヨーロッパに持ち込まれた陶磁器は、瞬く間にヨーロッパの王侯貴族を魅了し、金に糸目をつけず東洋磁器をコレクションし、邸宅を飾り立てる姿は「磁器病」と呼ばれるほどでした。

そんな時代に、王侯貴族のステイタスシンボルとして作られた食器を飾る部屋、それが「磁器の間」です。

実はこのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」は長崎にあるハウステンボスでも、再現されたものを見ることができます。

【関連記事】
<漫画で学べる>食器の知識ゼロから勉強の旅
日本にもあった!磁器の間

しかし、本物の磁器の間は・・・。

もう、ほんとうに圧巻です。

本物の凄さ。
書籍の写真や、ハウステンボスにある再現されたものでは感じられなかった感動と興奮が、そこにありました。

ここは美術館や博物館ではありません。

当時「白い金」として、黄金と同等もしくはそれ以上の価値として扱われていた磁器を、これだけ所有しているのだという権力・財力を誇示するために作られた空間。

当時としては珍しく、インテリアコーディネーターによって計算されて配置された中国や日本(伊万里、有田)の磁器。

窓から差し込む光が磁器や鏡に反射して、まるで空間全体が金のような、強烈なインパクトを与えてきます。

この空間に足を踏み入れた他の王侯貴族は、どれほど驚いたのだろう……
私も思わず「うわぁ……」と声を漏らしてしまいました。

そして驚きや感動と同時に、当時、日本の陶磁器に、ヨーロッパを支配していた王侯貴族が これほどまでに魅了されていたのだという事実を体感し、日本人としてのアイデンティティを感じることができました。

西洋磁器発祥のルーツを知らない日本人が多いことは、本当に残念です。
だからこそ、私は自分の仕事を通して、これからも積極的に陶磁器の歴史を紹介していく活動を続けていきたいと思いました。

(つづく)

この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。