【食器×歴史上の人物】第1回~第7回では、ウェッジウッドの創業者ジョサイア・ウェッジウッドの功績についてお話してきました。
【関連記事】
- 【第1回】ジョサイア・ウェッジウッド (1)
- 【第2回】ジョサイア・ウェッジウッドから学ぶこと(1)
- 【第3回】ジョサイア・ウェッジウッドから学ぶこと(2)
- 【第4回】ウェッジウッドの創業者は、ビジネスのアイディアマン!
- 【第5回】ウェッジウッドの創業者の社会貢献①
- 【第6回】ウェッジウッドの創業者の社会貢献② -奴隷解放運動に尽力(1)
- 【第7回】ウェッジウッドの創業者の社会貢献② -奴隷解放運動に尽力(2)
今回のコラムでは、3回に分けて、ウェッジウッドの歴史を語るうえで欠かせない代表シリーズの誕生秘話を、ご紹介していきます。
クィーンズ・ウェアで出世街道をかけのぼる
ウェッジウッド社は創業から200年以上経った今でも、世界中で愛されるブランドです。
その成功の第一歩となったのが、「クィーンズ・ウェア」と呼ばれる陶器の開発です。

「クィーンズ・ウェア」というのは、ウェッジウッド社独自の呼び名で、この陶器は本来、「クリーム・ウェア」と呼ばれる硬質陶器(アーザンウェア)です。

「ウェア」といっても、洋服の「wear」ではなく、やきものを意味する「ware」です。
丈夫で軽く、耐熱性もあり、磁器に比べて値段が安いのが特徴です。ジョサイアの住むスタッフォードシャーのさまざまな工房が、主力商品として「クリーム・ウェア」の制作を行っていました。

そんなクリーム・ウェアがなぜウェッジウッドでは「クィーンズ・ウェア」と呼ばれるようになったのでしょうか。
その鍵となったのは、創業者ジョサイア・ウェッジウッドの<持ち前の勤勉さや研究で培ってきた知識>でした。
創業者ジョサイアは、このクリーム・ウェアを独自の研究で改良し、どこの工房よりも、より白く、滑らかで光沢のある釉薬をかけ、シンプルで上品な陶器に仕上げることに成功しました。
それが当時イギリスを統治していたイギリス国王ジョージ3世の妃で、陶磁器に非常に高い関心を持っていた女王シャーロットの目に留まり、後援を得ることができたのです。
1765年、シャーロット王妃の注文で手掛けたクリーム・ウェアのコーヒー&ティーセットに関する記録が残っています。

ジョサイアが当時、兄へ送っている手紙によると、そのセットは、
“金地に緑で花を浮き出しにしたもの、ならびに同じ装飾のメロンのある花と葉を浮き出しにしたもの”だったようです。
残念ながら現存はしていないみたいですが…。見てみたかったですね…。
その結果、ウェッジウッド社のクリーム・ウェアに対し「クイーンズ・ウェア(女王の器)」という名誉ある名が与えられます。
さらにジョサイアは1766年に「Potter to Her Majesty(女王陛下の陶工)」と拝命されます。
1766年当時に発行されたアリス・バーミンガム・ガゼット紙の記事には、こう記されています。
“Mr. Josiah Wedgwood of Burslem, has had the honour of being appointed Potter to her Majesty”.
「バーズレムのジョサイア・ウェッジウッド氏は、女王陛下の陶工となる名誉を得た。」

Potter(ポッター)というのは、陶工のことだったんですね。バッハが小川さんのように、ハリーポッターは、「陶(すえ)」さんなのです。
クィーンズ・ウェアの成功により、ジョサイアの名はヨーロッパ中に広がり、各国の王侯貴族らの指名を受けるようになりました。

余談ですが、陶磁器業界の出身者として初めて「ナイト」の称号を与えられたのは、ロイヤルドルトン創業者の次男ヘンリー・ドルトンです。
彼の遺した功績は、庶民向けの価格で良質の陶器製造を可能にしたことだけでなく、国内はもちろん、国外にも大きく市場を広げたことにもあります。
この素晴らしい功績の結果、ジョサイアは”ナイト”の称号を贈られ、陶芸史上で大変大きな出世を果たしたのです。
現在でも、クィーンズ・ウェアは冒頭で登場したフェスティビティ・シリーズを中心に、ウェッジウッドの主力商品の一つとして人気があります。
リーズナブルな価格ですが、その価格の奥には、王妃に認められた確かな品質と、創業者ジョサイアが「市民に広く使ってもらえる器を作りたい」という情熱が込められています。

「クィーンズ・ウェア」の歴史はウェッジウッドが成功する礎になったといっても過言ではないと思います。
ここから、さらにウェッジウッド社は王室と関係が深まることになります。次回も、王室とゆかりのあるシリーズの紹介とともにウェッジウッドの歴史を掘り下げていきましょう。
\ もっと詳しく知りたい方はコチラ /