北欧ブランド「イッタラ」の歴史

こんにちは。カリーニョの加納です。
本日20時より、輸入ブランド洋食器専門店「ル・ノーブル銀座店」さんのInstagramアカウントで、LIVE配信を行います!

テーマは「イッタラ(Ittala)」「アラビア(Arabia)」。
思えばカリーニョのコンテンツにイッタラとアラビアに関するコラムがなかったので、私も頭の中の整理のために、今一度イッタラとアラビアの歴史や人気シリーズについて、まとめてみることにしました。

最初はイッタラの歴史からです。

イッタラとアラビアは同じグループ!

…と、それぞれの歴史の紹介に入る前に、イッタラとアラビアの違いについてご紹介します。というのも、イッタラとアラビアの商品は、同じ陳列棚に並ぶことも多く、別のブランドであるにもかかわらず、混同されがちだからです。

後程詳しくご紹介していきますが、先に結論からいうと、イッタラとアラビアは現在、同じグループ会社です。

1990年にイッタラは、ハックマングループ(Hackmann Group)に買収されます。この時、ハックマングループはアラビアやロールストランド=グスタフスベリも買収し、ここでイッタラとアラビアは同じグループ会社となりました。

(画像出典:BETTER BLOG)

その後ハックマングループは2003年に「イッタラ」に改称。そして2007年にイッタラはフィンランドのフィスカースに買収され、現在はフィスカースグループの一員として事業を継続しています。

1881年にフィンランドで創業したイッタラの歴史

それでは、イッタラの歴史のご紹介です。
まず、社名となっている「イッタラ」とは、フィンランドの地名に由来している名前です。イッタラは、1881年4月にフィンランド南部のイッタラ村で、元ガラス職人のスウェーデン人ピーター・マグナス・アブラハムッソン(Petrus Magnus Abrahamsson)によって創立しました。(※イッタラ(ittala)は、フィンランド語読みだと「イーッタラ」が正式)

イッタラの創業者:アブラハムソンと彼の家族(画像出典:ittala village)
イッタラのロケーション。ヘルシンキから118kmの場所に位置します。(画像出典:イッタラ・ヴィレッジ)

そう、つまりイッタラは最初ガラス工房として誕生したのです。

今も、「最も純粋な輝きを持つガラス器の製作」というポリシーのもとつくりだされるガラス製品は、人体や環境に有害な鉛を一切使っていません。これは自然を愛し、自然とともに生きる北欧の人々の精神が生かされたもので、地球を愛する世界中の人々に支持されています。また、直射日光に強く、傷つきにくいなど実用性にも優れています。

そんなイッタラの創業当初は、フィンランドに腕利きのガラス吹き職人が不足していたこともあり、スウェーデン人の労働力に頼らざるを得ない状況にありました。

1917年にはカルフラ・ガラス工場が所有していた製材会社A・アールストローム社に買収され、1950年代までは「カルフラ=イッタラ」の名前で、当初は化学実験やランプオイルなどに用いるボトルをメインに製造していました。その一方で、家庭用の商品も生産されていました。

そんななか、1920年代から1930年代にかけて、イッタラは家庭用品の製造だけではなく、もっと実験的で芸術的な商品を作るベンチャーへと事業拡大していきます。

その成功例の一つが、アイノ・アアルトやアルヴァ・アアルトのアールト夫婦の起用でした。(彼らに関しては、後述します。)

その後の第二次世界大戦で、イッタラ製品は深刻な材料不足と労働力不足によって生産がストップしてしまいます。しかし大戦直後の1946年には生産を再開し、規模を拡大していきます。1950年代から1960年代にかけては、イッタラにおけるガラス製品の黄金期を迎えています。

しかし1970年代半ばのオイルショックの影響を受け、再び製造に支障が起きてしまいます。しかもこの頃になるとフィンランドのガラス市場は国外からの輸入ガラス製品との競争も激化していました。

1987年、ついにA・アールストロームは、イッタラをフィンランドのウルヤラにあるヌータヤルヴィ・ガラス工場の大株主であるパルチラ社に買収。パルチラは、イッタラとヌータヤルヴィを合併し、「イッタラ=ヌータヤルヴィ」を設立します。

そして冒頭でもご紹介したように、その後1990年にこの「イッタラ=ヌータヤルヴィ」はハックマングループに買収されることになります。2003年にはハックマングループはイッタラに名称を変え、2004年にABN AMROキャピタルの傘下に。2007年にフィスカースグループの傘下となり現在に至ります。(ちなみにフィスカースグループは、現在はロイヤルコペンハーゲンやウェッジウッド等の英国ブランドも傘下に入れています)

今は200名ほどの従業員で運営を行っているイッタラは、今でもイッタラのガラス製品のうち約90%はイッタラ村にある自社工場で作られています。フィスカースグループの傘下となってからは、フィンランド人のデザイナーだけではなく、海外からのデザイナーも起用するようになり、デザインの幅が広がっています。

このyoutube動画の後半(8分30秒後~)から、現在のイッタラ工場の様子が紹介されていました。

2021年3月時点で、吹きガラス職人さんは65名。1グループ4~8名ほどのグループ制で、アート作品や実用品を作っているそうです。45分作業をすると15分休憩、そして1人が休憩に入ると、休憩していたメンバーが作業を再開するというローテンションを組むことで、作業自体が滞ることはないとのこと。1日8時間の週休二日制というのは、日本とほぼ同じですね。

イッタラはガラスの色のバリエーションが豊富ということでも知られて、20種類の色が準備されているとか。

毎年「今年の色」というのが発表されていて、2021年はアメジスト色なのだそう。

意外と知られていない?ロゴマークの由来

イッタラのロゴマーク(画像出典:wikipedia)

イッタラで現在使われているロゴマークは、1956年に「iシリーズ」という食器シリーズに初めて使用されました。マークの「i」にある細長い棒は、職人さんのもつ吹き竿で、点の部分は、最初にちょこっとつけるガラスの材料、そして赤い部分が窯の炎をイメージしていると言われています。

最初はこの「iシリーズ」のみに使用されていたロゴ。その後、イッタラのロゴマークとして使用されるようになります(画像出典:イッタラヴィレジのyoutube)

ちなみに、このロゴを考案したのは、イッタラで活躍したデザイナー、ティモ・サルパネヴァです。

ティモ・サルパネヴァ(1926ー2006)イッタラだけでなく、フィンランドのデザイン業界において世界的な影響力をもっていた偉大なデザイナーです。

イッタラの人気シリーズの紹介

イッタラにはロングセラーのシリーズが沢山!少しずつ紹介していこうと思います。(随時更新予定)

アイノ・アアルト

アイノ・アアルト ハイボール(画像:ittala.jp)

イッタラのシリーズで最初にご紹介したいのは、なんといっても「アイノ・アアルト」。
シリーズ名になっているアイノ・アアルトによって1932年にデザインされ、イッタラ製品の中で一番長い歴史を持つデザインとなっています。

リング状のデザインは、湖の水の波紋にインスピレーションを受けたもので、この凹凸のおかげで、手を滑らせてグラスを落とすことがないよう工夫されています。ミラノ・トリエンナーレ展でも金賞受賞した、シンプルで時代に左右されないデザインが魅力的ですね。

アイノ・アアルト(アイノ・マンデリン・マルシオ、1894〜1949)※画像出典:ittala.jp

ティーマ

ティーマをデザインしたのは、「フィンランドの良心」とも称される偉大なデザイナー、カイ・フランクです。彼はイッタラだけではなく、アラビアの主任デザイナーとしても有名で、そのためイッタラとアラビアそれぞれに、彼がデザインした食器シリーズがあります。

カイ・フランク(1911ー1989)

そんなカイ・フランクがデザインした食器シリーズといえば、なんといっても「ティーマ」!

イッタラ ティーマ プレート26cmホワイト(画像:ittala.jp)

「ティーマ」のオリジナルは、1953年に発表された陶器製の「キルタ」というシリーズです。このシリーズは装飾性の高いディナーセットが主流だった1950年代に、非常に機能的で革新的なものでした。

たとえばコーヒーカップのソーサーは、真ん中の窪みがないので小皿としても使えますし、クリーマーは、フィンランドの民家に多かった2重の窓の隙間に置けるサイズに設計されているため、ミルクを入れたまま適温で保存できるようなっています。

「キルタ」は、その後オイルショックなどの世界情勢のあおりを受けて、原材料の高騰が原因でいったん生産終了となりますが、その後1981年に改良版として新しい名前で復刻されました。そう、それが「ティーマ」なのです。この改良により、今までの陶器製から磁器製に変わり、電子レンジが使用可能になりました。

ちなみに「ティーマ」は現在イッタラで製造されていますが、実は2005年までは「アラビア」社製でした。ですので、ヴィンテージショップに行くと、古いタイプのティーマのロゴには「Arabia Finland」と刻印されています。

ティーマを実際に使ってみると、美しさだけではなく、その機能性・コストパフォーマンスの高さに本当に驚かされます。それもそのはず。カイ・フランク自身も「万能で実用的な質の高い食器を、手ごろな価格で買えるようにしたい」という想いで、数々の食器をデザインしているのです。

またカイ・フランクは「色があれば、他の飾りはなくていい」という言葉も残しています。その言葉通り、彼のデザインしたシリーズは形だけでなく、色にも長年愛用できるようなシンプルで使い勝手の良い色が選ばれています。カイ・フランクに関しては、「フィンランド・デザインの良心」と称されるほどに、さまざまな偉業を残しています。また別の機会に、彼自身のことをもっとご紹介できればと思います!

参考URL

ittala village
ittala.jp
wikipedia

この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。