【第7回】ウェッジウッドの創業者の社会貢献② 奴隷解放運動に尽力(2)

ウェッジウッドの創業者・ジョサイア・ウェッジウッドの功績をご紹介するコラムも今回が最後です。

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前回、ジョサイア・ウェッジウッドの生きた時代に行われていた大西洋三角貿易についてお話しました。

非常に暗い話が続きますが、光り輝く国王たちの歴史は、こうした奴隷貿易などの三角貿易の富によって支えられていたという影の側面もあり、それは決して忘れてはならない。そういう意味でもぜひ知っていただきたい歴史です。

奴隷貿易とも呼ばれるこの貿易で、西アフリカで船に乗せられた奴隷は、焼印を押され、船にすし詰めにされた状態で、ろくに飲食物も与えられずにひと月から半年もの航海を強いられました。そのため、目的地に着く前に、船内で死んだ者も多数いました。(死ねば海に投げ捨てられていました)

無事に生き残って、新大陸での生活が始まっても、「黒い荷物」とも呼ばれていた彼らが、人間としての扱いを受けられるはずがありませんでした。
生活の場は不衛生で貧しく、仕事のペースが遅れると、鞭で打たれることは日常茶飯事だったとされています。

アミーゴ先生

その一方で、砂糖に夢中になり、虫歯で歯がボロボロになるイギリス人富裕層が続出します。

彼らはボロボロになって抜け落ちてしまった歯のかわりに、低額で引っこ抜いた貧民の歯を埋め込んだという話もあります。

その歯も数ヶ月ですぐ抜け落ちたり、そんなことをしたせいで貧民から伝染病などをもらってしまうイギリス人もいたとか。

しかしイギリス国内でも、だんだんと、この非人道的な行為に対する反発運動がおこるようになります。

黒人を「物」同然に扱い金儲けをする人間がいる中で、良心と良識に従って、社会悪に物申す人たちのことを、18世紀イギリスでは「奴隷制廃止主義者(Abolitionistアボリショニスト)」と呼びました。

(The gradual abolition off the salve trade or leaving of sugar by degrees
タイトルは「of」と「off」という言葉の韻(いん)を踏んでいる。奴隷貿易の「廃止off」と砂糖を「なくすleaving of」ことをかけている。中央はジョージ三世、女王、そして二人の娘を描いている。)
アミーゴ先生

奴隷制で儲けた社会の有力者を相手に、戦いを挑んだわけなので、かなりの精神の強さと信念が必要だったことが想像できます。

彼らは、イギリス国内で、実際に奴隷たちが新大陸の農場でどのような扱いを受けているか、市民レベルで広く知れ渡らせるための啓蒙活動を始めます。

また「黒人が白人より劣る」と言うのは間違いであるとして、実際にイギリスに住む洗練された黒人達を生き証人として、世論を奴隷制反対へと傾けていきます。

アミーゴ先生

そんな時代背景の中でウェッジウッドは、コーヒー、紅茶、砂糖の人気上昇のおかげで、ティーセットの売り上げが向上し、商売が繁盛していきます。

陶磁器生産に関わるウェッジウッド社としては、間接的に奴隷制にお世話になっているような商売をしていましたが、奴隷貿易廃止の気運が高まる中、ジョサイアは積極的に奴隷制廃止運動に参加していきます。

アミーゴ先生

奴隷解放に深くかかわったのは、彼の本来もつ人柄はもちろんでしたが、共同経営者ベントレーの存在も、大きく関係していました。

当時は多くの商人が奴隷貿易で利益を得ており、商人のベントレーも例外ではありませんでした。しかし彼もジョサイア同様に、奴隷制度に強く反対の立場をとっていました。

そんなベントレーは、1780年に50歳で亡くなります。
ジョサイアは仕事と心の支えを失うことになりましたが、共通の知人でもありジョサイアのホームドクターでもあったダーウィンがジョサイアを支え、ジョサイアは今まで以上に奴隷解放運動に積極的に参加していくようになります。

そして1787年に奴隷制廃止キャンペーン用のメダリオン(カメオ風のメダル)を自費で製造し、この問題に関心を持つ人に無料で配布しました。

アミーゴ先生

このメダリオンには、当時の奴隷廃止運動の活動家である詩人がうたった「Am I Not A Man And A Brother?(我々は、同じ人間であり兄弟ではないのか)」という言葉とともに、ひざまづいた黒人奴隷が描かれていました。

奴隷制廃止を支持する人たちは、このメダリオンを帽子につけたり、ブローチ、ネックレスとして身に着けたりしました。

アミーゴ先生

当時、奴隷解放運動に尽力していたクラークソンという人物は、
「ウェッジウッドは、自分の工場で奴隷解放運動に貢献することができた。
通常は無益であるファッションが、正義と人間愛と自由の運動を促進する名誉ある任務を果たした」

と語ったといいます。
(参考文献:相原恭子著『イギリス陶磁器紀行 華麗なる王室御用達の世界』2000年,日経BP社,76頁)

こうして、反・奴隷制度をうたうことが、段々とファッショナブルになっていき、奴隷制廃止運動の一環として、砂糖のボイコット・キャンペーンなども起こるようになりました。

(Anti Saccharites parody cartoon.
(アンチサッカライズ(反砂糖運動)のパロディー風刺画)
家庭で砂糖を扱う女性が中心となってボイコット運動を起こした。)

そのうちに、三角貿易で得た莫大な利益でイギリスの産業革命がおこると、工業製品の輸出による利益が奴隷貿易を上回るようになっていき、奴隷貿易のうまみが徐々に失われていきます。

それに加えて、自由や平等を主張する啓蒙思想が広まっていく時流の中で、1833年にイギリスで奴隷制度廃止法が成立します。
こうして奴隷制という非人道的な制度は、イギリスを皮切りに徐々に廃止されていきました。

【まとめ】

第1回目から7回目までのコラムでは、ジョサイア・ウェッジウッドの生涯をご紹介してきました。

このコラムで見えてきたジョサイアの人柄を、あなたはどのように感じましたか?

ジョサイアは、もともと社会問題や政治に対して、強い感受性を持っていました
だからこそ、奴隷解放運動と同時期に起きていたアメリカ独立戦争にも関心を持ち、自社の社員の社会保障にまで気を配っていったのでしょう。

彼は、虐げられていた人々に手を差し伸べる様々な活動を行いましたが、それには、彼の人間愛と自由な精神を持つ性格はもちろんのこと、尊敬するベントレーの影響、そして自分自身の決して楽ではなかった幼少期の経験が、深く関係していたのではないでしょうか。

父親を亡くして以来、たった9歳で小学校を辞めて、陶工であった長兄の作業場で下働きをする日々。
これに追い打ちをかけるかのように、12歳で天然痘にかかり、後に右足を切断するという不運に見舞われたジョサイア。
満足な教育も受けられずに障害に悩みながらも、彼は夢を捨てずに、人生に立ち向かっていきました。

その結果、彼は農民の手作業であった陶芸を、一代にして近代的な工業に発展させ、王侯貴族だけのものだった陶磁器を、新しく台頭した中産階級にまで広めることに成功しました。

それだけでなく、陶器を芸術作品の領域まで高めた彼は、53歳にして、イギリスで最も名誉ある王立協会の会員に選ばれ、社会的にも名を成しました。

しかしそれでもなお、弱者である奴隷の立場に立ち、人の痛みを感じることができたのは、ジョサイア自身が困難な人生を乗り越え、信頼できる仲間に支えられ、強い信念をもった誠実な人物だったからだと思います。

アミーゴ先生

まだまだジョサイア・ウェッジウッドに関するお話はあります。どうぞ続編をお楽しみに!

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この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。