【食器×歴史上の人物 リチャード ジノリ編 (3/7)】ロココ様式でイタリアンフルーツを作った2代目

リチャードジノリに関わる人物の紹介シリーズ。

アミーゴ先生

今回は、リチャードジノリの2代目のお話です。

【食器×歴史上の人物 リチャードジノリ編 ~目次~】

1735年に設立されたジノリ窯(ドッチア窯)を、その後5代にわたり、159年間所有してきたジノリ家。

創業者のカルロ・ジノリは、貴族階級の出身であり、未来志向の性格と新しい技術への追及、さらには企業家としてのタフさを備えていました。

カルロ・ジノリ含めたジノリ家5代のそれぞれの当主は、会社運営や、製品・生産する作品を何にするか、それぞれの時代に応じたベストな判断が出来たことが、繁栄の理由でした。

アミーゴ先生

早い話、5代それぞれの人物にとても魅力があったのです!
前回、創業者のカルロ・ジノリ侯爵を紹介しました。今回は、その続きとなります。
順番に見ていきましょう。

磁器の白さが格段に向上

アミーゴ先生

1757年にカルロ・ジノリが急逝します。
工房のあとを継いだのは、まだ若干23歳という若さだった長男のロレンツィオでした。

ロレンツィオ
(画像:リチャード・ジノリより)

2代目となったロレンツィオも、父に遜色ない活躍ぶりで、土の改良に尽力します。その結果、磁肌の白さが格段に向上し、窯は大きな発展を遂げて、ジノリの器は「トスカーナの白い肌」と絶賛されるようになります。
さらに工場を増設するなど、意欲的に工房を運営し、職人は100人を超すまでになりました。

また、初代カルロ・ジノリから2代目ロレンツィオが工房を受け継いだ1760年代当初は、時代の好みは荘厳なバロック様式でしたが、1770年代にかけて流行が優雅なロココ様式へと移り変わり、ロレンツィオはこれらを求めた裕福な階級の需要にもこたえていきます。

アミーゴ先生

1770年にマリーアントワネットが結婚しましたから、その前後がもっともロココ様式が流行った時代でした。2代目ロンレッツオはまさにこの時代に活躍していたのです。

ロココ様式全盛期にイタリアンフルーツが誕生

ドッチア窯を開窯当初は、いわば記念品として1点ものだけを焼いていましたが、だんだんと高コストの作品作りはやめて、貴族たちの注文に応じて食器セットなどをつくるようになります。

この時期に誕生したのが、リチャード・ジノリの人気商品であるイタリアンフルーツです。

アミーゴ先生

もともとは、トスカーナのある富豪の別荘用ディナーセットとして作られた作品でした。
「フランス風」と言われるロココ調の6つの切れ込みのあるお皿の形状と、大らかで明るい色合いの南欧風のタッチで描かれたフルーツが特徴的です。  

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このように、時代を見据えたマーケティングに力を入れることで、ドッチア窯は「産業」として発展していきました。

アミーゴ先生

このリチャード・ジノリ第2期をウェッジウッド創業者のジョサイア・ウェッジウッドと重ねると、パートナーのベントレーと共にエトルリア工場を建設し、クリームウェアジャスパー、ポーランドの壺など次々と新製品を開発し、ウェッジウッドが大きく発展した時期と丁度重なります。

こうして他の窯と同時並行で見ていくと、知識に広がりがもてて面白いですよ。

一点ものから、貴族たち向けの食器セットの製作、そしていよいよ次回は、一般市民へとジノリの世界が広がっていきます。

(つづく)

【今回のまとめ】

<リチャードジノリ第2期>

1757年~1792年、当主:ロレンツィオ・ジノリ侯爵

<貢献したこと>

・「トスカーナの白い肌」と称されるレベルにまで、磁器の白さが格段に向上。
・工場を増設し、意欲的に工房を運営
・1点ものから食器セットなどの製作に移行

<この時代の流行>

ロココ様式

<この時代に誕生した代表シリーズ>

・イタリアンフルーツ ・アンティックローズ

【食器×歴史上の人物 リチャードジノリ編 ~目次~】

この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。