【食器×歴史上の人物 リチャード ジノリ編 (2/7)】バロック様式でベッキオホワイトを生み出した創業者

前回からスタートした、リチャードジノリに関わる人物の紹介シリーズ。
今回は、リチャードジノリの創業者のお話です。

【食器×歴史上の人物 リチャードジノリ編 ~目次~】

 

イタリア初の硬質磁器を完成させた創業者は、名門貴族

ジノリ家は、もともとフィレンツェから約10キロ離れたカレンツァーノの出身。13世紀にフィレンツェに移り、以後フィレンツェ共和国政府の一員として、司法長官職や修道院長職を歴任してきた由緒ある家系です。


(赤いピンがついた場所が、カレンツァーノ。)

 

講師アミーゴ
アミーゴ先生
ジノリ家は、今もフィレンツェの中心に居を構えています。
「ルネサンス文化の柱」ともいうべき存在だったパトロンのメディチ家をはじめとして、ほとんど全ての名家が消えてしまった今、当時の宮殿そのままを住居として使い続けるジノリ家は、文字通りフィレンツェきっての名家と言えるでしょう。

 


創業者のカルロ・ジノリ侯爵(出典:Wikipedia

カルロ・ジノリはいろいろな分野に興味を抱いていた人物で、化学的知識や鉱物学にも造詣が深く、自らが原料土を探し、ペースト練りや発色の研究をして、ついにイタリア初の硬質磁器を完成させ、1735年にイタリアで最初の磁器窯が誕生します。

誕生した窯の名は「ラ マニファットゥーラ ディ ドッチァ」。日本では「ドッチア窯」や「ジノリ窯」と訳されることが多いです。

 

講師アミーゴ
アミーゴ先生
化学に非常に強い関心と知識を持っていたカルロ・ジノリ。
当時のイタリアでは、高いレベルの教育を受けられるのは、ほんの少数の限られた人々だけでした。つまり貴族は、名門・富裕層というだけでなく、その辺の学者よりもずっと研究熱心で正確な知識を持つインテリ層でもあったのです。

カルロ・ジノリは、優れた画家や彫刻家を招き、聖職者や貴族たちを顧問に迎えて助言を受けます。リチャード・ジノリの芸術的な素養は、この時代から積み重ねられた財産ともいえます。

彼はそのほかにも、工房の技術の向上のために絵やデザイン、彫刻の学校を創設するなど、技術開発のために努力を惜しみませんでした。
こうした取り組みの結果、絵付け、フィギュリン共に高い評価を受けるようになり、マイセンやウィーン磁器工房と肩を並べるまでになりました。

バロック様式のベッキオホワイトが誕生

この時期に誕生したのが、リチャード・ジノリの看板商品であるベッキオホワイトです。当時流行したバロック様式の特徴である「大きなうねり」を大胆に取り入れたレリーフは、今も変わらず人気商品です。

また、カルロ・ジノリの時代は、オーストリア女帝マリア・テレジアがトスカーナ大公妃として君臨していた時代(1745~1765)と丁度重なっていて、マリア・テレジアに献上されたグランデューカもこの時代のものです。

 

 

講師アミーゴ
アミーゴ先生

このリチャード・ジノリ第1期をウェッジウッド創業者のジョサイア・ウェッジウッドと重ねると、ジョサイアの10代~20代で、駆け出しの時代です。まだウェッジ社は創立されていません。この様に、他のヨーロッパ窯と横軸でみていくと、歴史の点と点が繋がって知識が広がっていきますね。

初代カルロ・ジノリのあとは、ドッチア窯はジノリ家代々の当主に引き継がれ、成長を続けていきます。

(つづく)

【今回のまとめ】

<リチャードジノリ第1期>

1735-1757年 当主:カルロ・ジノリ

<貢献したこと>

・イタリア初の硬質磁器窯「ドッチア窯」を創窯する。

<この時代の流行>

バロック様式
マイセンなどの影響を感じる、多色使いの花のデザインなど

<この時代に誕生した代表シリーズ>

・ベッキオホワイト ・グランデューカ ・レッドコックなど

【食器×歴史上の人物 リチャードジノリ編 ~目次~】

【このページの文章を書いた人】 加納亜美子(アミーゴ先生)

株式会社アリベ 代表取締役/『カリーニョ』代表 カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。料理教室「一期会」を主宰し、洋食器輸入代理店でのセミナー講師、コラム執筆など多岐にわたり活動中。 通称:アミーゴ先生。これは、”世界中に沢山の友達が出来るような社交的な人になるように”と、父親が「アミーゴ(スペイン語で『友達』)から由来して名付けた「亜美子」にちなんだニックネーム。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう