【食器×歴史上の人物 リチャード ジノリ編 (1/7)】ジノリ窯(ドッチア窯)誕生の時代背景

「食器×歴史上の人物」。
これまで、ウェッジウッドの創業者であるジョサイア・ウェッジウッドについてお話してきました。

【食器×歴史上の人物(ウェッジウッド編)バックナンバー】

今回から、イタリアが誇る名窯「リチャード・ジノリ」に関連する人物をご紹介していきます。

アミーゴ先生

早速ですが、リチャード・ジノリで皆さんよく勘違いされるのは「リチャード・ジノリさん」が創業した、と思われることです。

違うんですね。
リチャード・ジノリは、「リチャード陶磁器会社」と「ジノリ窯(ドッチア窯)」が合併して誕生した窯なのです。

このブランドは「創業者が貴族」という珍しいブランドで、まさしく「食器×歴史上の人物」のテーマにもってこいの、魅力的な登場人物満載のブランドです。特に、合併して「リチャード・ジノリ」となる前身の「ドッチア窯」の創業者から5代目までの物語は非常にドラマチックです。

そこで次回以降からは、初代から5代目までの人物像に迫ってみたいと思います。

アミーゴ先生

今回は、前座としてドッチア窯誕生の背景を探ってみましょう。

【食器×歴史上の人物 リチャードジノリ編 ~目次~】

ドッチア窯の誕生した歴史的背景

ドイツのマイセンは、1708年にヨーロッパ初の硬質磁器に成功します。磁器はその当時、金と同等の価値があったので、ヨーロッパ各国にとって磁器の製造技術は、喉から手が出るほど欲しいものでした。マイセンにスパイを送り込んだり、人を引き抜くなど、あの手この手で2番目の窯を目指します。その結果、1718年にオーストリアのウィーン窯(のちのアウガルテン)が磁器づくりに成功します。

アミーゴ先生

そして舞台は、約17年後のイタリアはフィレンツェ(当時のトスカーナ大公国)へ。

トスカーナ大公国というのは、現在のトスカーナ州の領土のことで、ローマ、ミラノ、といった都市を、当時は一つの小さな国として貴族や諸侯が治めていました。トスカーナ大公国の当時の首都が、フィレンツェだったのですね。

フィレンツェの街並み (出典:地球の歩き方)

かつてフィレンツェは、地中海貿易で栄えていましたが、コロンブスに始まる大航海時代を迎えると、それまでの地中海貿易から大西洋貿易へと転換します。それによって地中海貿易が縮小したフィレンツェは、衰退の一途でした。

アミーゴ先生

いわゆる大航海時代の「商業革命」です。高校の世界史で習ったのを覚えてはいませんか?

今までは、アジアからの香辛料は必ず地中海(北イタリア諸国)を通っていたのに、高い関税と新たな大航海による貿易ルートの開拓で、海の玄関口がポルトガルに移ってしまったのです。

そんな中、磁器愛好家で、科学や鉱物学に長けていたカルロ・ジノリ侯爵は、トスカーナの衰退を憂い、再び繁栄をもたらすには硬質磁器の生産が必要と考え(先述の通り、磁器は当時の人々にとって金と同等の価値があったので)、1735年にフィレンツェ郊外のドッチアにある自分の別荘に窯を開きました。
これが、現在のリチャード・ジノリの前身「ドッチア窯」だったのです。

赤い印がドッチア。フィレンツェ郊外の小さな町。
アミーゴ先生

イタリア語でシャワーを表す「ドッチア doccia(発音は”ドッチャ”)」という地名は、「水が豊富にある所」という意味を持ちます。
上記の地図でもわかるように、ドッチアの背後には森があります。磁器作りには多くの水と、窯を炊くための沢山の材木が必要だったので、ドッチアは格好の土地だったのでしょうね。

地中海貿易時代に大いに繁栄し、ルネサンス文化のパトロンでもあったトスカーナ大公国のメディチ家は、地中海貿易の衰退とともに勢力を失い、とうとうメディチ家最後のトスカーナ大公であったジャン・ガストーネが1737年に没すると断絶してしまいました。

そして、代わりにトスカーナ大公を引き継いだのが、マリアテレジアの夫であるフランツ一世(マリーアントワネットの父)だったのです。

アミーゴ先生

フランツ一世とマリアテレジアは、政略結婚が当たり前の当時には珍しい、恋愛結婚で結ばれました。しかしその結婚には周辺諸国が猛反発し、その結果フランツ一世は故郷であるロレーヌ公国(ドイツ国境付近のフランス北東部)を手放すことに。
その代わりに、当時空位となっていたトスカーナ大公の座を引き継ぐことになったのですね。

(一番左がフランツ一世。右から2番目がマリアテレジア。そして中央のゆりかごの中にいる小さな子供が、マリーアントワネットです。)
アミーゴ先生

イタリアのトスカーナの地に、オーストリアのハプスブルク家がやってきた!

ヨーロッパで2番手として硬質磁器を生み出したウィーン窯の王様がトスカーナにやってきたのとほぼ同時期に、リチャードジノリの前身であるドッチア窯が誕生した・・・偶然のようなこの歴史、私には必然のように思えてなりません。次回は、その初代創業者のお話です。

【食器×歴史上の人物 リチャードジノリ編 ~目次~】

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この記事を書いた人

加納亜美子

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。