『知識ゼロからの西洋絵画』シリーズ ― 私の仕事に対するスタンスのお手本となる書籍

先日の陶磁器セミナー最終回は、年表を使いながら陶磁器が生まれた時代背景と美術様式を、歴史のタテ軸とヨコ軸から紐解いていきました。

バロック様式、ロココ様式などの美術様式を知ることは、言うまでもなく、陶磁器だけではなく絵画の楽しみが増えることにも繋がります。ただ、なんとなく小難しいイメージがあったり、なんとなく理解しているという方も多いと思います。

そんな中で、美術様式を知るためにとってもおススメの書籍が、『知識ゼロからの西洋絵画 ―困った巨匠たち対決』(山田五郎著,幻冬舎,2018年)です。

山田五郎氏の『知識ゼロからの西洋絵画』シリーズは、本当に知識ゼロの方でもわかりやすい解説なのですが、絵画を解説する(講師業の)人が読んでも「なるほど、こういう風に解説すると理解しやすいのだ」という参考になるため、他の著書も何冊か愛読しています。

今回ご紹介する『ダメな巨匠対決』は、同じ時代に生きていた「誰もが見たことがあるような絵画を描いた巨匠」2名を比較することで、画家の人間性や当時の美術様式を解説していく内容となっています。

この本の何が素晴らしいかというと、その進み方が、「美術様式ベース」になっている点です。

たとえば
・「ルネサンス」では、レオナルド・ダ・ヴィンチ vs ミケランジェロ。
・「バロック様式」では、カラヴァッジョ vs レンブラント
・「世紀末」では、モロー vs ロセッティ
・「印象派」では、ドガ vs セザンヌ
・「ポスト印象は」では、ゴッホ vs ゴーガン

これら美術様式を軸に、その時代の有名画家や当時の文化史なども見ることができる、非常にわかりやすい構成となっていて、この1冊を読むだけで、ルネサンス芸術からポスト印象派までの7つの美術様式と、14人の巨匠を網羅することができます。

たとえば、私が好きな時代のひとつ、ドイツ・ルネサンス(15世紀末~16世紀)の巨匠「デューラー vs クラーナハ」の章。

今年の5~6月にドイツをバイエルン地方を旅した時に、規模の大小問わず様々な美術館で、彼らの絵画が同じ部屋に飾られてあるのを度々目にしました。


それもそのはず。デューラーとクラーナハは、ほぼ同い年で、共にバイエルン出身。注文主もかぶっているなどの共通点が多いのですね(このあたりも本文で紹介されています)。しかし、彼らの生き様と芸術感はかなり方向性が違っていたので、そんな二人を比較するのは、非常に面白かったです。

特筆すべきは、「山田節」ともいえる、完全なる著者の勝手な想像という主観満載な解説文。

これは山田氏の他の著書にも言えることなのですが、「小難しい美術解説」というのが山田氏の文章には皆無で、本当に知識ゼロの方のために、イメージしやすい表現で美術を解説してくれているのです。

たとえば、ルネサンスや印象派ほどは知られていない、先述のドイツ・ルネサンス期の巨匠、デューラーとクラーナハに関しては、同じルクレティアという女性(紀元前6世紀にローマを王政から共和政へと移行させる契機になったとされる女性)を題材としたヌード絵画を比較しています。

↑こちらが、デューラー作「ルクレティアの自殺」(1518年、アルテピナコテーク(ドイツ))。

デューラーのヌード絵画は、山田五郎氏の解説では「理想の人体美は、イタリアに学べ」。…ということで、イタリア・ルネサンスの人体比例論を取り入れて、「堂々たる理想の裸体」を描いています。(そしてこの解説で「イタリア・ルネサンス」がどういう裸体が描かれていたのかも想像できます)

対して、クラーナハのヌード絵画は「ドイツ人は、ドイツ好みのエロでいく!」というもの。

以下がクラーナハの描いたルクレティアです。↓

(クラーナハ作「ルクレティア」(1532年,造形芸術アカデミー(ウィーン))

見ての通り「貧乳・寸胴のリアルな裸体を帽子と透け布で味付け、柔肌と剣が「性と死」を象徴」(本文53頁引用)した裸体です。(ちなみに山田氏は、クラーナハを「着エロ」(真っ裸ではなく、裸にエプロンのようなちょっと何か身にまとっている方が逆にエロイというやつ)の先駆者として表現されています。なのでこの絵も真っ裸ではなく、ちょっと透けた布が逆にエロイといっている。)

実は題材となったルクレティアは、夫の不在中に凌辱されて自害し、貞淑な妻の代名詞となった人物。それもクラーナハにかかれば「死とエロス」の象徴になっています。

「死とエロス」といえば、19世紀末芸術でのキーワードとして登場します。

(このページ、本当に度々引用で使っている気がしますわ…本当に重宝する参考ページ!)

つまり、クラーナハは19世紀末に先駆けて「性と死」また「運命の女」を表現していっていたのですね。こうやって何かしらのキーワードを覚えておくと、異なる時代にも関連性を見いだせてくるようになり、ますます楽しくなってきます。

今回は山田氏の『ダメな巨匠対決』をご紹介しましたが、他の『知識ゼロからの~』シリーズもとてもおススメです。

で、実は今日一番ご紹介したかったのは、この本の話だけではなく、私がなぜ、この本を好きなのかという、もっと個人的な話です。

私は『知識ゼロからの 西洋絵画史入門』(幻冬舎,2011年)のあとがきに書かれてあった、「(この本は)専門家ではなく一美術ファンに過ぎない著者が、素人ならではの大胆さで側道やカーブには目をつぶり、回線道路だけをざっくり手描きした概略図にすぎない」という表現がとても好きで、そういう考えを持つ山田氏の文章だから、初心者目線でとても分かりやすいのだと思っています。

西洋絵画という巨大都市の道路網は、複雑多岐。最初から細かい道順を知ろうとしても、かえって混乱し、迷いかねません。まずは本書で大まかな全体像をつかんでいただき、ご興味が湧いた箇所があれば、ぜひ、より詳細で正確な地図、つまり専門書をひもといてください。
そして、機会があれば、ぜひ、より多くの作品を実際にご覧になってください。
(『知識ゼロからの西洋絵画史入門』(山田五郎著,幻冬舎,143頁))

この文章の「西洋絵画」の部分を「陶磁史」に言い換えると、常々私が感じている想いと完全に一致します。

最近、お笑い芸人の中田敦彦氏も、「YouTube大学」という動画チャンネルを開設しました。
彼もまた、専門家ではない自分が解説して、興味が湧いたら専門書でより深く知っていってください、というスタンスで、様々な教養コンテンツを生み出しています。

解説者や講師によってさまざまな立ち位置、スタンスでの活動の仕方があります。私も常々、「自分はどこを目指しているのだろう」ということを考えますし、「亜美子さんは何を目指しているの?」と尋ねられることもあります。

でも、私は「専門家ではない」山田氏のような一ファンの目線(主観)から見た話が好きで、実際にそれを通して絵画に興味を持ち、入門していく人たちがいる現実があるように、私もまた、「学者ではない」自分が、食器を心から愛する食器ファンの目線から見た陶磁史を語り、それを通して、食器に興味関心を抱く人が少しでも増えてくれたら…という想いで、活動を続けています。

そう、私個人としての目指す方向性は「陶磁史に入門する(陶磁史に興味を持つ)きっかけ」を沢山つくっていくことなのですね。私の話を聞いて、もっと興味が湧いたら、専門書を読んだり、もっとアカデミックな方々の話を聞きに行ってください、実物を見て手に取るために食器屋さんに行ってみてください、試しに使う機会が欲しければカリーニョをご利用くださいね・・・そういうスタンスが理想図です。

カリーニョは「食器レンタルサービス」というイメージが強いと思っていますが、「レンタルサービス」ではなく「シェアサービス」です。このシェアという言葉には、「食器そのもののシェア」だけではなく、「食器の知識、食器を通した体験のシェア」も込められています。まだまだその部分がちゃんと伝わり切れていないので、「何を目指しているのかわからない」という言葉を聞いてしまうわけなので、そのあたりは自分でももっと上手に発信していきたいな、と感じていますが・・・

この山田五郎氏の著書『知識ゼロからの~』シリーズは、私にとって、そういう意味では「自分がどういう立ち位置で仕事をしたいのか」という方向性に対し「こういう仕事の仕方があるんだよ」ということを指南してくれる道しるべ的存在。今朝最初から読み返しながら、改めてそんなことを感じました。

是非私が影響を受けた山田五郎氏の著書、興味のある方にはお手に取っていただきたいです!

【アミーゴの読書感想文】

15冊目:『知識ゼロからの西洋絵画 ―困った巨匠たち対決』(山田五郎著,幻冬舎,2018年)

他の『知識ゼロからの西洋絵画』シリーズもおすすめです!

この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。