講座レポ【歴史と学ぶ ヨーロッパのやきもの講座】第3回目の「オランダが生み出したブルーホワイト~デルフト陶器~」

こんにちは
カリーニョスタッフのTomokoです。

2/3(木)近鉄文化サロンにて【歴史と学ぶ ヨーロッパのやきもの講座】【歴史と学ぶ ヨーロッパのやきもの講座】第3回目の「オランダが生み出したブルーホワイト~デルフト陶器~」が開催されました。

デルフトのやきものたち。この中に一枚だけ日本製のものがあります。

ヨーロッパのやきものの歴史では、スペインにてイスラムから錫釉陶器(イスパノ・モレスク)が伝わり、それがマヨリカ島からイタリアへ(マヨリカ焼・マジョリカ焼き)、そしてイタリアのファエンツァからフランスに伝わり(ファイアンス焼)となり、3回目である今日の【デルフト焼】までが錫釉陶器のお話になります。

今回登場する【デルフト焼】とは、オランダのデルフトを中心に焼かれた錫釉陶器です。

デルフト焼の歴史

イスラムから伝播してきた錫釉陶器は、名前を変えてヨーロッパに広まっていきます。

16世紀ネーデルラント地方アントワープでは、イタリア文様を模した「ネーデルラント・マヨリカ」(表面だけに白い釉薬が施されている)が焼かれ、窯業の中心でした。
しかし、この地を支配したスペインのフェリペ2世がカトリックを強制したため1568年オランダ独立戦争が勃発します。アントワープの陶工たち(プロテスタント)は北部に移住し、デルフトが窯業の中心になっていきます。

オランダ東インド会社の設立!!

17世紀中頃、オランダ東インド会社が設立し、東洋磁器を輸入し始めるとヨーロッパ各地の王侯貴族が夢中になりオランダの窯業は追い込まれます。
そこでデルフトでは、東洋磁器(コバルト一色)を模倣し、イタリア(マヨルカ)風から東洋(シノワズリ)風にし、良質で、できる限り磁器に似せた陶器を研究します。白く、薄く、目跡のない従来のマヨルカ陶器とはまったく別物の仕上がりになった陶器がデルフト焼です。

絵柄は東洋の模倣でしたが、形状の模倣はあまり見られず、ヨーロッパで考案された複雑な形状を作るのを競い合い、金属器やガラスを模したものやチューリップ瓶(オランダらしいですね)など珍しさが注目されました。

これらのことからイスラムの技術が伝播したマヨリカ焼やファイアンス焼と違い、デルフト焼は独自の発展を遂げているため[デルフト陶器]という確固たるやきものになっているようです。

しかし、磁器が作られるようになってくるとそれを模して作られていたデルフト陶器は徐々に衰退し、現在ではデルフトにポースレン・フレス窯を残すのみとなったようです。

一方、日本では…

日本では、1641年に鎖国が完成されると、オランダ以外の西洋世界との交流が遮断されます。江戸時代の日本人からするとオランダは「西洋」とほぼ同義語であり、日本に輸入された西洋陶磁はオランダ製もそれ以外のものも「阿蘭陀焼」と称されました。江戸時代後期には蘭学とともに西洋への関心が高まり、「阿蘭陀趣味」が流行します。

当時日本に輸入されていた西洋陶磁は、銅板転写(初期はイギリス製、のちにオランダ製)で絵付けされた量産品が多かったようですが、日本人、特に茶の湯の世界、京都では関心が高かったようです。
[京阿蘭陀焼]は、デルフト焼の絵付け(手描き)や形状を模して作られたもので、デルフト焼の影響を受けて作られた陶器なのです。

このように、ヨーロッパと日本は互いに憧れ合い、模倣し合っていたという歴史がここにも見られ、歴史って本当に面白いなと感じました。


中央赤丸のついた器には、東インド会社のマークであるVOCが刻印されています。つまりこの器が日本製ということなんですね。

今日の講座は亜美子先生渾身の、いつも以上に気合いの入った講座で、またまだ書き足りない内容がいっぱいです。

最後に、実際のデルフト焼を見ていくと、前回までの陶器と違い、裏面の素地の部分すらもきっちりと錫釉が塗られていて、白く、薄く、良質な陶器、ほんとだなと感じました。

今回の講座も情報詰め詰めの盛り沢山な内容で亜美子先生の意気込みを感じました。

次回は、ポーランドの陶器、【ポーリッシュポタリー】です。
ポップで可愛いこれらの陶器にもどんな歴史があるのか楽しみです。

ぜひみなさんも私と一緒にお勉強しましょ。

ご興味のある方はぜひ!!

募集内容はこちらをご覧ください

 歴史と学ぶ ヨーロッパのやきもの講座(近鉄文化サロン阿倍野)

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