啓蒙主義がきっかけ?ヨーロッパ各地の美術館の成り立ち

別コラムで既出ですが、現在、大阪・中之島にある国立国際美術館で、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展が開催されています。

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この展覧会に展示されている作品数は61点と規模として大きいものではありませんが、なんとその61点全てが、日本初公開。というのも、実はロンドン・ナショナル・ギャラリーは、国外に所蔵作品の貸し出しを行わないことで有名なのです。

これまでイギリス国外で所蔵作品展が開催されたことは一度もありません。つまり今回は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーとしても、史上初の歴史的な展覧会といえるのです。(詳細はコチラ

ロンドン・ナショナル・ギャラリー。もしかしたらもう二度と貸し出ししてくれない…かも!? (画像出典:Wikipedia)

さて、個人的にロンドン・ナショナル・ギャラリーで興味を持ったのは、この美術館自体の生い立ちです。というのも、この美術館は、市民の手で所蔵作品が集められ、市民の力で設立されているのです。これは他のヨーロッパの有名な美術館とは大きく異なります。

ヨーロッパ各地の美術館の成り立ち

ヨーロッパの歴史を振り返ると、18世紀に台頭してきた啓蒙主義を背景に、それまで王侯貴族や高位聖職者のためのものだった美術品を、国民に広く知ってもらう(=国民に啓蒙する)ため、一般公開しているのがみえてきます。要は「王侯貴族のコレクションが、国民に一般公開される」という形で美術館が成り立っていくのですね。

啓蒙主義に関してはコチラ

具体的に見ていきますと・・・

(1)フランス・ルーヴル美術館の場合

ルーヴル美術館と有名なルーヴル・ピラミッド(画像出典:Wikipedia

ルーヴルは、もともと12世紀にパリの市域を守るために建てられた城塞で、ルイ14世などの歴代の王の指揮のもとで増改築が繰り返され、現在のような姿になりました。

そしてフランス革命下の1793年に旧王家の美術コレクションを国民に公開し、美術館としての歴史がスタートします。さらに、ナポレオン統治時代に押収・購入したコレクションが寄贈されたことによって、現在の美術館に近い施設になりました。

(2)スペイン・プラド美術館の場合

個人的にいま一番行ってみたい美術館No.1が、プラド美術館です。(画像出典:Wikipedia)

1819年に創立されたスペインの首都マドリッドにあるプラド美術館は、当時の国王フェルナンド7世自らによるプロジェクトでした。フェルナンド7世は絶対王政を推し進めた人物。そのためプラド美術館も、当初は「王立絵画美術館」として開館しました。

フェルナンド7世(画像出典:Wikipedia)

しかし打倒・絶対王政を掲げる国民による革命の結果、1868年のスペイン9月革命により国民が主権を握ります。そして同年に、「王立絵画美術館」も「プラド美術館」へと名称を変え、スペイン・ハプスブルク家やスペイン・ブルボン家のコレクションの数々が王室所有から国有化それらが一般公開されて、現在に至ります。

(3)オーストリア・ウィーン美術史美術館の場合

ウィーンにおける美術館誕生の起源は、マリア・テレジアにあります。彼女はオイゲン公の夏の離宮だったベルヴェデーレ宮殿を購入し、1781年に歴代のハプスルブルク家のコレクションを一般公開しました。

荘厳なバロック建築で有名なベルヴェデーレ宮殿。(画像出典:Wikipedia)

それから約100年後の1891年、城壁が撤去され整備されたリンク大通り沿いに、フランツ・ヨーゼフ1世の命によって建てられた豪華な施設にコレクションが移され、「ウィーン美術史美術館」として新たなスタートを切りました。

ウィーン美術史博物館(画像出典:Wikipedia)

(4)イタリア・ウフィツィ美術館の場合

18世紀、フィレンツェ(当時はトスカーナ大公国)はメディチ家が断絶し、ハプスブルク家のマリア・テレジアの夫・フランツ1世が君主となります。

フランツ1世(左)とマリア・テレジア(右)。彼らは自分たちの結婚を周辺諸国に認めてもらうため、フランツ1世の故国ロレーヌ公国をフランスに譲ります。その一方でメディチ家が断絶して空位となったトスカーナ大公国を継承することになりました(フランツ1世がメディチ家の血を引いていたのです)。

そしてフランツ1世の死後、マリア・テレジアの息子の一人が、トスカーナ大公レオポルド1世となります。

レオポルド1世。1770年に母マリア・テレジアの摂政が終わると、彼も母と同じように、トスカーナにおいて啓蒙的改革を行っていきます。(画像出典:Wikipedia)

レオポルド1世がメディチ家の美術コレクションを行政機関の建物で一般公開したのが、ウフィツィ美術館のはじまりです。

ウフィツィ美術館。(画像出典:Wikipedia)

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの成り立ち

このように、ヨーロッパにある有名美術館の多くは、「王侯貴族のコレクションが、国民に一般公開される」という起源をもつものが多いのですね。

では、ロンドン・ナショナル・ギャラリーはどうなのか――。
冒頭でもご紹介したとおり、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの場合は、その成り立ちが大きく違い、「市民の所蔵品が、一般公開される」形で設立されています。

18世紀に入り各国の首都が啓蒙主義の台頭により、美術館が開館していくなか、ロンドンには、ルネサンス期からバロック期の画家たち(オールド・マスターズ)の作品を一般の人々が鑑賞できる施設が、まだありませんでした。

そのため、イギリスのロイヤル・アカデミーの会員や美術愛好家がナショナル・ギャラリーを創立する案を掲げて議会に働きかけます。そして1824年に創立されたのが、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの始まりです。

・・・と、長くなってきたので、次回に続きます。(つづく)

この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。