2人の「ジョサイア」。ウェッジウッド創業者とスポード創業者の意外な繋がり

今月は近鉄文化サロン阿倍野で洋食器講座スポード編、そして東京よみうりカルチャー恵比寿でウェッジウッド編を開講します。草津サロンでの洋食器講座も、テーマがウェッジウッドです。

ウェッジウッドとスポードには、創業者に「意外な接点」がいくつもあります。

①名前が同じ「ジョサイア」

まず、名前が二人とも「ジョサイア」です。ウェッジウッド創業者はジョサイア・ウェッジウッド、スポード創業者はジョサイア・スポード。

ウェッジウッド創業者のジョサイア・ウェッジウッド(画像出典:wikipedia)
スポード創業者のジョサイア・スポード(画像出典:Wikipedia)

ややこしくなるため、今回のコラムでは、ジョサイア・ウェッジウッドを「ウェッジウッド」、ジョサイア・スポードのことを「スポード」と表記していきます。

②わずか3歳差。ともに6歳で父親を亡くし、陶工の道へ

ジョサイア・ウェッジウッドは、イギリスのスタッフォードシャーにある英国陶磁の里として有名なストーク・オン・トレントのバーズレムで1730年に生まれ、ジョサイア・スポードは、スタッフォードシャーのフェントンで1733年に生まれました。3歳差でウェッジウッドのほうが先輩です。

そんな二人ですが、運命のいたずらといっていいのでしょうか…1759年(ウェッジウッド9歳、スポード6歳)に、それぞれ父親を亡くし、陶工の道を歩むことになります。当時は極貧環境にある子供たちが、学校に通わず働きに出ることが日常化されていたのですね。

もともと陶芸に携わる家系だったウェッジウッドは、長兄トーマスのもとで下働きに。そして極貧層の家庭だったスポードは小さな陶器工房で働きはじめます。

③ともに「トーマス・ウィールドン」の工房に関わる

当時スタッフォードシャーで名をはせていた新進の陶芸家がいました。彼の名はトーマス・ウィールドン(Thomas Whieldon 1719-1795)。ウェッジウッドもスポードも、このトーマス・ウィールドンの工房で陶芸家としての礎を築いていきます。

トーマス・ウィールドン(画像出典:The Potter Thomas Whieldon)

最初にトーマス・ウィールドンに関わったのは、スポード。
彼は1749年(当時16歳)に、陶工の世界に身を埋める覚悟を決め、地元で有名だったトーマス・ウィールドンの工房に就職します。スポードの義兄がこの工房に土地を貸していたことから、縁故を頼ったと言われています。そして真剣に仕事に取り組むことで、しっかりと陶器作りに関する基本を学び、5年後の1754年にエレン・フィンレイと結婚。これを機に別の窯に移籍します。

そしてスポードが結婚・移籍をした1754年に、ウェッジウッドがトーマス・ウィールドンの工房に迎えられてきました。しかしスポードとは立場が違いました。ウェッジウッドは師弟関係ではなく、なんと「共同経営者」として関わったのです。

トーマス・ウィールドンとジョサイア・ウェッジウッドによるティーポット(1760-1765年) 画像出典:wikipedia

スポードとウェッジウッドが一緒に仕事をしたのはごく短期間でした。それでも同年代であるウェッジウッドの活躍ぶりは、スポードにとっては非常に大きな刺激になっていたのでしょう。

その後ウェッジウッドは1759年にストーク・オン・トレントのエトルリアでウェッジウッド窯を創業し、スポードは1770年にストーク・オン・トレントのストークでスポード窯を創業しますが、二人の関係は非常に良好だったと言われています。

たとえば18世紀末にヨーロッパで流行した新古典(ネオクラシカル)様式が流行し、ウェッジウッドはジャスパーウェアや新古典様式の作品を次々に生み出し、上流階級からの注文を増やしていきました。

それに対し、ブルーホワイトの東洋趣味的デザインを得意としていたスポード窯の売上は低迷してしまいます。経営やデザインの方向性に悩むスポード。彼を救ってくれたのは、ウェッジウッドの言葉でした。

「たしかに上流階級の人びとはネオクラシカル様式に夢中になっているが、まだまだ中産階級の人々には手が届かないだろう。彼らは上流への憧れから、中国趣味のブルー&ホワイトを求めている。ブルー&ホワイトの食器の人気は、少なくとも君が生きているうちは廃(すた)らないだろう」

(引用元:Cha Tea紅茶教室著『図説 英国美しい陶磁器の世界』74頁)

ウェッジウッドの読みは当たり、1780年代以降のイギリスにおける茶の輸入量は年々増加。茶税の減税などもあり、茶葉の価格が下がりより、多くの人々が喫茶文化を楽しめるようになります。

スポード窯は、「輸入品の東洋磁器は高くて買えない」という中産階級や労働者階級の人達を対象としたブルー&ホワイトの商品作りに情熱を燃やし、その結果完成したのが、銅版転写技術だったのです。

今年スポード窯を記念して復刻された「ヘリテージ・コレクション」や、スポードを代表する「ブルーイタリアン」も、新古典主義が流行していた1810~20年の間に誕生しています。

④同じ教会の墓地に埋葬されている

その後もスポードはウェッジウッドから良い影響を受けて成長していきます。ウェッジウッドが貢献したトレント&マーシー運河を開設する際には、スポードも投資しました。

ウェッジウッドとスポードの共通点としては、他にも、例えばともに2代目が事業を飛躍させた点も共通していたり、ウェッジウッドの主治医だったエラスムス・ダーウィンが、スポードとも親交があったり…同じ時代、年齢も活動拠点も近い2人が、それぞれに困難を乗り越えながら切磋琢磨し英国陶磁器産業を成長させていく中で、ともに良い刺激となる存在となりえた様子が容易に想像できます。

そんな二人は、ともにストーク・オン・トレント駅近くにあるストーク・ミンスターの墓地に埋葬されています。二人のお墓はほんのわずかな距離しか離れていないそうです。

私はまだ行ったことがありませんが、英国陶磁の原点を作ったふたりの墓石の前にご挨拶にいける機会に近い将来恵まれたら…と思っています。

ひとつひとつの磁器ブランドの歴史を掘り下げていくことも楽しいですが、こうやって同じ時代に活躍した複数の窯の歴史を重ねてみていくことも、文化史の愉しみ方の一つ。まだまだ紹介したいネタ(?)はありますので、時間をつくって色々ご紹介していきますね!

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この記事を書いた人

加納亜美子

西洋磁器史研究家 / 料理研究家
「カリーニョ」代表。カリーニョを運営する三姉妹の末っ子。

幼少の頃から洋食器コレクターの父親の影響を受け、食器の持つバックストーリーに興味を持ち、文系塾講師、洋食器輸入会社で勤務後、2016年1月~会員制料理教室「一期会」、2019年1月~高級食器リングサービス「カリーニョ」の運営を始める。
曾祖母は赤絵付けの原料となるベンガラ作りに関わっていたルーツを持つ。