「ハプスブルク家と名画・陶磁器の世界」初回講座が開催されました

こんにちは
カリーニョスタッフのTomokoです。

本日は近鉄文化サロンにて午前、午後に渡りセミナーを開催させて頂きました。
午前が洋食器講座~イギリス陶磁器編~第2回目のロイヤルウースター。

そして、午後は、【ハプスブルク家と名画・陶磁器の世界】。
こちらも2回目の今日は、[偉大なる”女帝”マリア・テレジア]です。

初回の講座では、マクシミリアン1世からスペイン系とオーストリア系のニ派に別れ、近親結婚を繰り返し、スペイン系ハプスブルクの家系が途絶えてしまうまでの時代を、名画とともに紐解かれました。

 

今回は、その後に、オーストリア系ハプスブルク家に生まれたマリア・テレジアの時代のお話です。

マリア・テレジアを知る上で代表的な3つのポイントは、

①婚姻外交が主流だった当時には珍しく彼女は幼馴染であったフランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(のちのフランツ1世)と恋愛結婚をします。

②2人の間には16人の子供が産まれ(6男11女)、産まれた娘たちは各国に嫁がせる婚姻外交を行います。

③11番目の娘が、フランスに嫁ぎ、後にフランス革命にて処刑されるマリー・アントワネットです。

ちなみにマリア・テレジアが政治の実態を動かしていたため”女帝”と呼ばれていましたが、神聖ローマ帝国の帝位に即位したのはフランツであり、彼女自身が即位したことはありませんでした。

父であるカール6世が亡くなると周辺諸国がオーストリアに攻め込み、オーストリア継承戦争(1740〜1748)に発展します。
この戦争でシュレジェンをプロイセンに占領されたため、土地の奪回をめざし、フランス(ポンパドゥール夫人)、ロシア(エリザヴェータ女帝)と同盟(ペチコート同盟)を結び、プロイセンと7年戦争(1756〜1763)をしますが、結果は敗戦。


しかし、2度の戦争からオーストリアが[遅れている国]だと知ることができたマリア・テレジアは、根拠のない迷信やキリスト教の教えがはびこっている自国の状況を見、様々な対策を行なっていきます。

啓蒙主義とは

神や王が絶対ではない‼️
理論的・科学的に(自分が)正しいと思ったものに従う考えのこと

を言い、ウィーンでは啓蒙主義が広がっていく事になります。

後にウィーン近代化に影響を与える啓蒙主義ですが、歴史を順を追って説明してもらう事で、なるほど‼️そうゆう事だったのかとなるのは亜美子先生の講座ならではです。


もやっとしていた歴史の知識を気付いた時には整理されているという、不思議な感覚を毎回体験できます(*゚∀゚*)。

もちろん、[マリア・テレジアと陶磁器]の関係についてもたくさん話されましたが、書ききれません。

ジノリのグランデューカ、アウガルテン窯、そして、マリアテレジア自身が磁器コレクターだったことなど興味あるお話がいっぱいでした。

ご興味のある方はぜひ、次回のハプスブルク家と名画・陶磁器の世界[第3回]きらびやかな王宮文化~ヨーロッパのファッションリーダーマリー・アントワネット~ご受講いだければと思います。

募集内容はこちらをご覧ください

【新講座】ハプスブルク家と名画・陶磁器の世界(近鉄文化サロン阿倍野)

皆さまのご参加をお待ちしております。申し込みは、近鉄文化サロンで受付しています。
ご不明な点がございましたら、カリーニョにもお気軽にお問い合わせくださいね。

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