【第30回】映画『ダウントン・アビー』私がダウントニアンな本当の理由(3/?)

陶磁器を彩る美しいモノたち
映画『ダウントン・アビー』
ただ美しいだけではない 私を惹きつけるモノ

 

現在公開されている映画『ダウントン・アビー』(原題『DOWNTON ABBEY』)皆さんご覧になられましたか?

映画版公式ホームページはこちらのページをご覧ください

映画「ダウントンアビー」。言わずと知れた、世界で大ヒットした英国長編ドラマの続編です。

「陶磁器を彩る美しいモノたち」ダウントンアビー編では、筆者の率直な感想や映像美、文化、ストーリーなどをコラムにする予定のシリーズです。第1回目は、ネタバレなしの安心・安全で読める「映画のここがすごい!」をお話しました。第2回目は、いよいよネタバレありの核心に迫りながら「映画のここがすごい!」を解説しました。第3回目の今回は、「ダウントンアビー」の世界が導く深層に迫っていきたいと思います。

 

その⑤メアリーとマシュー
聖なる愛の絆を結ぶ特別な関係

 

クローリー家の長女であり、ドラマの中心的人物ともいえるメアリーは、ドラマ版シーズン1~3では親戚で弁護士のマシュー・クローリー(彼は階級的にアッパーミドルクラス(上位中流階級)ですね)との紆余曲折ロマンスがオースティン『高慢と偏見』さながらに展開されます。そうなんです、前回はメアリーが『高慢と偏見』のヒロイン、エリザベスをモデルにしているのが間違いない、と申しましたが、そういう点でマシューはもう完璧に『高慢と偏見』ヒーローのダーシーなんですね。いや、これこそ間違いない。特にイギリス人はみんなそう思っていますよ。

そのマシュー、かつてのイケメン絶頂期だった金髪碧眼のディカプリオを彷彿とさせる超のつくイケメンっぷりで、しかも演技も抜群で、キザなセリフが似合う似合う。
高慢で、冷徹で、頑固者の美女メアリーの心を解きほぐすパートナーとして好適者だったわけです。

イケメン絶頂期だったディカプリオを彷彿とさせるダン・スティーブンス
その後の役柄や加齢により、映画『美女と野獣』の頃にはもうこのような甘いマスクは残念ながら見られません。演技派俳優さんの貴重なイケメン絶頂期を、ロマンス用に見れたのはファンにとって奇跡的なくらい嬉しいことです。

知的でプライドの高いマシューにとって、そういう女性は独占欲を満たすことが出来るのですね。「(普段はクールに装っているけれども)裸になって僕の腕に抱かれている時の君が、本当の君であることを、僕だけが知っている」などどいう、イケメンでなければ興ざめするようなキザなセリフをジュリアン・フェローズ(脚本・総指揮)が用意するんですね。『高慢と偏見』大好きな私のイチオシカップリングでした。

で、たぶん、私が想像するに、このドラマ「ダウントンアビー」というのは、シーズン3で終わる予定だったんですよ、きっと。
『高慢と偏見』よろしく、メアリーとマシューが紆余曲折の末、晴れて夫婦となり、傾きかけるクローリー家を若い夫婦二人が力を合わせて、しかも法律の知識をもった専門家のマシューが、ロバートお父ちゃんがナアナアで経営していた領地を改革していくんだ、待望の嫡子も生まれ、これでクローリー家は永遠に不滅、いつまでも、いつまでも幸せに…!という希望を持った感じでのラストを、当初は想像していたに違いないんです。

ところが、皮肉にも大ヒットしてシーズン3で終われない状況に追い込まれてしまった。しかし、マシュー役のダン・スティーブンスは、このシーズン3で「ダウントンアビー」を終わらせ、ハリウッド進出を希望していたのですね。で、これ以上ダウントンアビーにはスケジュール的に出演できない、というので「大人の事情」でやむを得ずシーズン3の最終回、マシューとメアリーとの間の待望の嫡男、ジョージの出産日にマシューを交通事故死させてしまいます。

ですから、IF(もしも)の話として、「ダウントンアビー」がそれほどヒットせず、シーズン3で終わったのなら、きっと嫡男が生まれ、幸福なクローリー家を描いてジ・エンドとなったはずなのです。ダン・スティーブンスは、現在なおもダウントンメンバーとの交流があり、今回の映画化に向けてもう一度返り咲きの意向も示した、とかの噂も出ているんです。そのため、もし、シーズン3で終わり、その後の映画化、であれば、間違いなくダンは出演してたのでしょうね。なのでね、これは本当に皮肉な話ですよ。

シーズン4~6は、今度は未亡人となったメアリーの再婚相手探しのストーリーとなります。いろんな男性遍歴を重ね、結果的にメアリーを射止めたのは、レーサーのヘンリー・タルボット(彼もアッパーミドルクラスですね)でした。
楽天家の彼は、メアリーの意固地なところや、複雑なプライドの高さををひとっとびで飛び越えてしまうような人物です。そういう意味では、メアリーの気持ちをキチンと斟酌し、その気持ちに寄り添いながら丁寧に結論を出すマシューとは正反対な人物で、現実的にはこちらの夫婦の方が相性がいいのかもしれない、ジュリアン・フェローズの上手い趣旨だなあ、と私は感心しました。

メアリーとヘンリーの結婚式
マシューの結婚時よりも時代が進み、カジュアル化している

しかしながら、メアリーの後妻ならぬ後夫のヘンリーの立ち位置としては、英国王室のチャールズ皇太子の妻「カミラ夫人」だと私は思います。前妻のダイアナ妃が「皇太子妃」という称号を得ているのに対し、カミラ夫人は「カミラ妃」ではないところがミソです。

やっぱりイギリス人から見たら、マシューとメアリーは永遠の『高慢と偏見』エリザベス・ダーシーカップルで、なおかつジョージという嫡男も用意されていますから、ジュリアン・フェローズが今回の映画版でメアリーとヘンリーとの間に生まれた子供を娘にしたのも、映画版でヘンリーの登場があっさり出演だったのも、その辺の配慮があったことは間違いないと思います。

何より、メアリーとマシューが特別な絆を持っているのを、二人の名前がそれを端的に表現しています。
そうです、メアリー(Mary)聖母マリア(Maria)の英語読みで、マシュー(Matthew)十二使徒マタイ(Matthaios)の英語読みです。そして二人の間に生まれた待望の嫡男、ジョージ(George)は、聖人ゲオルギウス(Georgios)の英語読みです。つまり、3人は聖家族で、キリスト教の聖なる愛で結ばれているということを意味しているのです。

メアリーとマシュー、息子のジョージ誕生のシーン
このシーンの清純な雰囲気からも、聖家族をイメージする製作者の意図を感じる

メアリーとマシューが他のダウントンカップルにはない、特別で強固な絆を持っていることを、英国人ならすぐに読み取ることが出来ます。再婚相手のヘンリーは聖家族の名前由来ではありませんから、ジュリアン・フェローズは、きっとこの部分も十分加味したネーミングだと、私は思いますね。

 

その⑥それぞれが異なる価値観に「折り合い」をつけていく その丁寧な描写が私をダウントニアンにさせた

 

一般的に皆さんがファン(ダウントニアン)になる理由は、大きく3つくらいあると思います。

・キャラクターが好き
・英国貴族文化がステキ
・ストーリーが面白い

ですが、私がこの世界にハマったのは、もちろん上記の理由もあるのですが、それはこの物語が様々な異なる価値観で衝突した時、あれこれ戸惑い、思い悩み、苦しみながらも、互いが折り合いをつけ、妥協点を見出し、「互恵性」を最大限に重視して解決の糸口を見つけるところにあるのです。

ダウントンアビーという物語は、どんな困難があっても、必ず最後にはハッピーになります。
牢獄に入れられようが、過ちを犯そうが、事件に巻き込まれようが、必ず良くなる。
だから、ファンはハラハラしながらも、期待を込めて続きを観ようとします。
ご都合主義とたたかれようが、必ず、救いがあるのがダウントンアビーの素晴らしいところです。
今回の映画版でもそれが表れていて、どんなトラブルも絶対に何とかなる、というので安心してみていられるのが、ダウントンアビーのいいところです。

それで、私が言いたいのは真犯人が見つかってやったね、晴れて無罪放免!という解決の時じゃないんですね。そういう事件もありますが、解決したわけではないけれども、折り合いが付けられて一つの結論が出た、という場面です。具体例を挙げたほうがわかりやすいでしょう。

・ワーキングクラス出身、カトリック、反王室体制派、であるトム・ブランソンをクローリー家が家族の一員としてどう受け入れたか、逆にトムが価値観のまるで違うどう一族と運命共同体になろうと決心できたか、の話

・マシューの元婚約者だった親族の莫大な遺産を相続することが発覚したマシュー。婚約者を裏切るような形でメアリーと結婚したことを悔やみ辞退しようとするマシューに対し、メアリーはその遺産でクローリー家を再興しようと遺産を受け取るよう迫る。一族繁栄ファーストの保守派メアリーと、道徳心を大事にするマシューのプリンシプル(主義)の折り合いをつけていく話

・かつては犯罪であり、見つかれば処罰の対象となっていた同性愛者のバロー(トーマス)を、階上のクローリー家、階下の使用人たちは、共犯者的リスクを負いながらも「黙認」という道を選んだ、という話

まだまだあるのですけれどもね、そういう、どちらが絶対に正しいとか、正義とか、甲乙つけられないものに対してどう折り合いをつけていくのか、それがドラマの中であれだけの人物模様が同時多発的な事件が数々勃発する中で、ものすごーーーく重要視してジュリアン・フェローズが描いているんですよ。

そのこだわりは、何を見ればよくわかるかというと、例えば是枝監督の映画「海街ダイアリー」を比較してみれば一目瞭然です。「日本人なら、黙ってひとつ屋根の下に暮らして、丁寧な暮らしをして、同じ釜の飯を食らうと、それはもう何も言わなくても家族になれる」っていうのが、「海街ダイアリー」の究極的な結論です。
でもそうじゃない。他人なんて、自分とは全く価値観の異なる人物だ、そのためには黙ってちゃー、わからない。丁寧に対話を重ね、妥協点を見つけ、何ができるか行動し、そうして着地点を探っていくのだ、そうすればきっと必ず道は開ける、それが「ダウントンアビー」の幸福の哲学です。

私は、だからダウントンアビーが好きなのです。
現在、世界は保護主義に傾きかけています。自分とは価値観の違うものを排除する機運が、戦後かつてないほど高まっている。
そして、分断。
世代間格差、所得格差、地域別格差、そういった格差が戦前のように広がりをみせるなかで、もう他人とは何も言わなくても分かりあえる、私とあなたは何も言わなくても同じ価値観だよね、という時代ではなくなってきたと、私は感じるのです。ダウントンアビーの時代もまさにそうです。20世紀に入って、人々が長年大事にしてきた価値観が、機械化と、第一次世界大戦と、貴族社会の凋落でガラッと変わってしまった。だから、あの時代はちょうど「私とあなたは何も言わなくても同じ価値観よね」じゃなくなってきてしまった時代なんです。

そういう時にですね、折り合いをつけるために、じゃあすべて妥協すればいいのか、というとそうじゃない。ダウントンアビーでも、結局は一つの結論を出すわけですから、どちらかが多少は妥協しているのです。でも、お互いが歩み寄って、少しずつ妥協して、問題点にフォーカスするよりも、互恵性(ごけいせい。お互いの利益)の方に目を向けて前向きに解決しようという姿勢が大切だ、と説く「ダウントンアビー」に、強い感動を覚えるのです。そうして迎えた結論は、決して折れて自分のプリンシプル(主義)が覆ったわけじゃないんですね。

トムが一番それを端的に表していますね。外見上は、トムは自分と異なる宗教・政治・階級を支持する家族と運命を共にしています。だからといって、トム自身の主義が失われたわけじゃあ、ない。トムの自尊心は、それを受け入れることでますます高くなっているんです。そこに私は心打たれるのです。

「ダウントンアビー」のシーズン1から6までのドラマを見ている間の長い年月、それは私にとっても決して平たんな日々ではありませんでした。当時は映画を見に行こう、などという気分が起こらないくらい余裕のない日々でした。
だからこそ、ドラマ「ダウントンアビー」の世界に浸れる瞬間というのは、しばし夢の時間を過ごしながらも、励まされ、慰められ、喜びを分かち合えた、何物にも代えがたい瞬間だったのです。

今回、映画を見ながら改めて、ダウントンアビーの深層に潜む哲学を、興業的なキャラクターやストーリーに混ぜながら私たちファンに見せてくれた底力というのを感じたのでした。

 

【このページの文章を書いた人】 玄馬 絵美子(げんば えみこ)

株式会社アリベ 取締役 / マネーリテラシーアドバイザー / 薬剤師 カリーニョを運営する三姉妹の長女。薬局・病院で薬剤師として勤務後、現在、子育て中のアラフォー主婦。株式会社アリベでは受注・財務面、そしてカリーニョでは趣味で研究してきた東西の19世紀末~20世紀初頭の文化・様式・芸術の世界を紹介するコラム執筆を担当。 【これまでの実績】 全国のMR経験薬剤師が作る転職応援サイト『MRファーマシスト』にてマネーコラム連載。 新聞の文芸欄掲載多数。掲載作品はこちら(個人ブログ「私の読書遍歴」)

 

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