11月1日は紅茶の日 ロシア女帝エカテリーナ二世と日本人が初めて茶会をした日

難破船で辛くも命を救われた光太夫
ロシア横断し、エカテリーナ二世とお茶会

11月1日は紅茶の日です。1983年に日本紅茶協会が定めたそうです。

日本紅茶協会の公式ホームページ「紅茶の日」のページはこちら

昨今のタピオカミルクティーの大流行も手伝って、何と今年は紅茶の輸入量が6年ぶりの高水準に。紅茶党の私としては、近年めっきり「紅茶」という文化が、コンビニコーヒーの台頭辺りから急に押され気味で影を潜めていただけに、とても嬉しいことです。

さて、その11月1日が「紅茶の日」となった理由。
それは、1791年(寛政3年)の11月1日に、伊勢の国(三重県)出身の大黒屋光太夫(だいこくやこうたゆう)という日本人の船員が、ロシア女帝エカテリーナ二世(1729-1796)のお茶会に招かれ、日本人として初めて外国での正式な茶会で本格的な紅茶を飲んだ、という逸話からきています。

画像:Wikipedia

ロシア、ロマノフ王朝の黄金時代を気付いた女傑エカテリーナ二世は、カリーニョの「ウェッジウッド フロッグサーヴィス」コラムでご存知かと思います。

1791年ということですから、上記のフロッグザーヴィス発表(1774年)から17年後、ちょうどフランス革命のあたりですね。

貴族でも、国の要人でも何でもない、一介の船乗りだった光太夫が、なぜ、遠路はるばる日本の伊勢からロシアのサンクトペテルブルクまで行き、エカテリーナ二世に謁見(えっけん)できたのか。それには波瀾万丈のドラマがありました。

簡単に説明すると、伊勢の国から出港した光太夫を乗せた「神昌丸」が遭難し、ロシアに漂着。このとき、光太夫40歳。それから帰国の嘆願のためにはるばるロシアのツンドラを横断し、サンクトペテルブルクまで行くのです。これって、スゴイですよ。だって、鉄道ありませんもの、この時代。
ロシアを横断するシベリア鉄道が出来始めるのは、1850年代から。なので、鉄道なしであの極寒のツンドラを横断するわけです。はげしい飢え、命を落としかねない激しい寒さ。苛烈な環境、危機のなかで、花ひらいた光太夫のリーダーシップで何とか生き延びます。(井上靖『おろしや国酔夢譚』より)

さまざまな苦難の末、エカテリーナ二世にまでたどり着いた光太夫は、ロシア皇太子や貴族、政府高官から大変優遇されたそうです。そして、帰国を許されて晴れて帰路へ向かう際、催されたのが、11月1日のお茶会だったとのこと。

帰国後は、現在の小石川植物園である、小石川薬草園に住居をあてがわれ、ロシア文化や蘭(オランダ)学に貢献したとのことです。この光太夫、ジョン万次郎ほどは知られた人物ではありませんが、本当に数奇な運命の方ですね。映画化などされていたようでしたが、私は知りませんでしたので、今回いい勉強になりました。
井上靖は好きな作家さんですから、今後の読書会でも取り上げたい題材ですね。

エカテリーナ二世と飲んだ紅茶はどのようなものだったのでしょうか?
そして、どんなティーカップでお茶会が催されたのでしょうかね?
今後の研究を深めていきたいと思います。

この記事を書いた人

編集部

カリーニョ編集部による記事です