【第16回】タイタニック号 1910年代(エドワーディアン)を生きた英国人の本質(4/6)

陶磁器を彩る美しいモノたち
人間の愚かさ、強欲さ、そして美しさという本質が露呈したタイタニック号の沈没

 

6回シリーズとなります「タイタニック号の悲劇を学び、エドワード朝(エドワーディアン)の文化を深める」ためのコラム「陶磁器を彩る美しいモノたち」。前回の第3回目は、歴史上のタイタニック号の悲劇について、あの事故がなぜ多くの人々に衝撃を与えたか、そしてそこから読み取れる多くの教訓についてお話ししました。

今回も、引き続き注目すべきポイントに迫ってみたいと思います。

 

タイタニック号の注目すべきポイントその④
人間の科学技術に対するおごりと、焦りがもたらした悲劇

 

19世紀の後半から電気というものを手に入れてからの欧米諸国の科学技術の発展のスピードは、飛躍的に伸びていきました。そのスピードは今まで人類が体験したことのないような加速度で、次々に電化製品や革新的な技術が生まれていったのです。

この変化は、現代を生きる私たちがAIだのITだのすごいわ、と言っているどころじゃないスピードです。一番驚くのは航空関係の技術です。ライト兄弟が人類で初めて動力飛行機で空を飛んだのが20世紀が幕開けしたばかりの1903年。わずか数百メートルの距離です。それなのに、たった66年後の1969年には人類が月面着陸(アポロ11号)しているのですよ!なんとまあ…!

人間の「もっと先へ」というどこぞの大手メーカーのキャッチフレーズのようなあくなき欲望は計り知れませんでした。タイタニックは、そんな計り知れない人間の欲望のもとで生まれた巨大な(タイタニック)船だったのです。

タイタニックを所有するホワイト・スター・ライン社による公告。
最新、最大、豪華設備を謳っている。

その頃の人々にとって、科学技術とは、より便利になり、人間の役に立つもので、人間の幸福をもたらすものであると信じていました。実際、大量生産の工業製品で人々の日用品は安く手に入ることができましたし、労働者は重労働を機械に任せられるようになり、列車でどこへでも行けて、伝染病も悪魔の仕業ではなくて科学的に治療できるようになってきていました。素晴らしいことです。

特に当時世界の最先端を突っ走ていたイギリスは「我こそは一番」という自負がありました。このため、企業家たちは追い立てられるように無理をして強引に事業を進める風潮があったのですね。ですが、この焦りともいえるような強引な事業拡大と、科学技術の過信が、タイタニック号の悲劇をよんだのです。

造船技師だったアラレクサー・カーライフは、タイタニックの沈没を追悼する礼拝(ロンドンのセント・ポール大聖堂)で気を失います。

カーライフの計画では、本来乗客の定員以上の救命ボートが備えられるようにされていました。しかし、タイタニック号を所有するホワイト・スター・ライン社は、絶対に沈まない浮沈船(ふちんせん)という謳(うた)い文句で大々的にタイタニック号を売り出したものですから、浮沈船には救命ボートが必要なく、それよりもデッキの遊歩道を広くすべきだ、と計画は無視されたのです。つまり、平時の快適性のために、非常時の安全をないがしろにしたのですね。

カーライフには良心の呵責があったのかもしれません。その苦しみが、礼拝での失神だったとも言えます。

また、現代から改めてタイタニックを考えると、私が思うのは「これほどの電力で、何もかも現代に近い施設があるにもかかわらず、燃料が石炭で、大勢の火夫がせっせと人力で炉に入れる作業をしていたという科学技術の進歩のアンバランスさ」です。なぜ、今のような重油(石油)燃料で設計できなかったのか。

電気の部分でいえば、タイタニック号は当時にしては素晴らしい技術を持っていたのです。クレーン、ウィンチ、エレベーター、ヒーター、調理器、時計、伝令器、防水ドア、船内電話、呼び鈴ボタン、など過去に前例がないくらい潤沢な電気製品を使っています。

ボイラー室。丸い蓋を開けて、石炭を炉に入れる。ボイラー室は船内の最下層にあった。
その上の階には、サウナ、プール、テニスコート、2~3等客船の食堂などがあった。

それなのに、燃料の部分だけ技術が追い付かずに、昔ながらの石炭での人力作業。頭でっかちの状態になってしまったのではないかと思うのですね。それはまるで、コルセットをまだ締めているのに、スカートの丈だけ近代化してミニスカートが流行してしまったかのような違和感です。もし燃料が重油であれば、石炭火災による隔壁損傷もなく、沈没は免れていたかもしれません。

タイタニック号が氷山衝突した様子。映画にもあるように、まずボイラー室が被害を受けた。

タイタニック号の姉妹船であるオリンピック号を石油燃料に大改装したのは、タイタニック沈没から約8年後の1920年のことでした。

タイタニック号の注目すべきポイントその⑤
極限状態で露呈する人間のエゴと崇高なプリンシプル

1912年4月14日午後11時40分の氷山衝突から、翌15日午前2時20分の完全沈没までの2時間40分という非常に限られた時間の中で、タイタニックの船内にいた人々は極限状態に置かれます。突然、死と隣り合わせにされてしまった人々がそれぞれに取った行動は、多くの教訓と感動を呼びました。

 

・沈没直前まで演奏された船のバンド

The Musicians on the Titanic – Illustrated London News 27 April 1912, page 636 – Mary Evans Picture Library/Everett Collection

タイタニック号が氷山に衝突し、沈没することがわかると、8人のバンドメンバーは午前0時15分頃から軽快なジャズ音楽などを甲板で演奏し始めます。甲板で逃げまどい、パニックに陥る人々を少しでも落ち着かせようとしたためとされています。

乗組員も救命ボートで助かっている人もいます。ですから、この8人の大変優秀な音楽家たちも、逃げようと思えば逃げられたはずでした。しかし、そうしませんでした。最後の救命ボートが下ろされて、船内にいる1500人の助かる見込みが非常に薄くなったことがわかると、今度は讃美歌を演奏し始めます。その音色は、海上の救命ボートに乗っている助かった人々も聞くことができました。こうして、8人はタイタニック号が完全に沈没する、ギリギリの3分前、午前2時17分ごろまで演奏を続けました。

傾くデッキで死の恐怖に抗いながらの演奏するというのは、どんなに勇気のいることだったでしょうか。このエピソードは、残った人々から語り継がれ、世界中の人々を感動させました。


A scene from the movie “Titanic” .  

8人のバンドマンは、音楽家としての使命を最後まで全うしてこの世を去ったのです。

 

・生存率を大きく左右した性差と階級

バンドマンだけでなく、潔く紳士として船と運命を共にした男性が非常に多くいました。それがレディーファーストを重んじるイギリスのプリンシプル(主義)だったのです。そのため、女性と子供の約80%が生存したのに対し、男性は20%。5人に4人は命を落としました。

そして、他にも生存率を大きく左右したものがありました。それが、階級でした。1等客船(上流階級)、2等客船(中流階級)、3等客船(労働者階級、移民)というイギリスの階級社会を色濃く反映した客室は、そのまま生存率に直結しました。1等客船の乗客の生存率が約60%に対し、2等客船44%、3等客船25%。(乗務員は24%)

15日深夜0時45分に最初の救命ボートが海上に降ろされましたが、救命ボートに乗船を促されたのは、まず1等客船の女性と子供でした。映画「タイタニック」にもあるように、3等客船の乗客のゲートは、乗務員によってゲートを締められカギをかけて脱出できないようにさせられていたのです。最終的にゲートをけやぶったり、開けられていた数か所から逃げ出して、巨大迷路のような通路を通り抜けて3等客船の乗客も救出出来た人もいましたが、ごくわずかでした。

 A scene from the movie “Titanic” .  

 

イギリスの強固なまでの階級社会が、このように人々の明暗をくっきりと分けたのです。沈没事故後、階級に関係なく救助されるようになりました。以前までは誰もが当たり前のように受け入れていた、避難時による階級差別は撤廃されたのです。20世紀の初めに起こったタイタニック号の沈没は、現代人の私たちが持つ平等社会の考え方に一歩近づいた重要な出来事だったわけなのですね。

 

タイタニック号の沈没事故は大変残念なことに、本来救命ボートの定員いっぱいにすべて人を載せていたら、乗客乗員の3分の2近くは助かったはずなのに、乗務員が救命ボートの扱いになれていなかったこと、かたくなに女性と子供を優先したこと、初期段階では誰も小さな救命ボートに乗りたがらなかったことが理由で結局32%の人々しか助かりませんでした。

しかし…私もその状況を思うと、なんともいえない気分になります。マイナス1度という凍てつく寒さの真夜中に、小さな救命ボートで遥か下に見える真っ暗な海に降りなければならない心細さ…。船内は大きく、明るく暖かく、とてもこの巨大な船が沈没するとは思えない状況の時に、「さあ降りろ」といわれて、頼りになる主人を船内に残し、小さな子供と共に、果たして私は真っ暗で凍える海上にむかって小さな救命ボートで降りられるでしょうかーー…。

タイタニック号のことを考えるたび、私は複雑な感情が入り混じったもどかしい気持ちに囚われます。

前回の3回目でお話したヒヤリハットが、一つでもなかったら…。そして、もし沈没する時間がもう少し遅かったら…。
というのも、完全沈没の午前2時20分から約1時間後、カルパチア号の信号弾が見え、沈没から1時間50分後の午前4時10分には最初の救命ボートがカルパチア号に収容されるからです。タイタニック号の沈没があと2時間でも3時間でも遅かったのなら、全員が助かった可能性が非常に高いのです。運命の女神の厳しい采配の前には、静かに首を垂れるしかありません。

もう一つ、私がもどかしい思いに駆られるのは、この科学技術の過信が見直されることなく(船舶避難の改善には繋がりましたが)事故から2年後の1914年からヨーロッパが第一次世界大戦に突入することです。そしてこの大戦は、軍事面でもそれまでになかった新たな技術を生み出しました。それが航空機であり、化学兵器(毒ガス)であり、潜水艦、戦車などです。
私が最も悲惨だと思うのは、これらの科学技術発展によって、過去に前例がないほど一気に大量の殺人が可能になったということです。3700万人という史上最大の死者数を数えるまでになりました。これは、第二次世界大戦の犠牲者よりも多いのです。そう、タイタニック号の犠牲者を遥かしのぐ犠牲者が、数年後にヨーロッパ全土で現れたのです。

陶磁器とは全くかけ離れたかのようなヨーロッパの歴史やタイタニック号の事故のお話をしてきましたが、私は美しい陶磁器の発展の陰には、こういった歴史や文化的側面が表裏一体(ひょうりいったい)のようにあることを、まず皆さまにお伝えしたくて4回にわたって紹介してきました。後半は、タイタニック号のテーブルウェア関係についてお話します。

 

【このページの文章を書いた人】 玄馬 絵美子(げんば えみこ)

株式会社アリベ 取締役 / 薬剤師 カリーニョを運営する三姉妹の長女。薬局・病院で薬剤師として勤務後、現在、子育て中のアラフォー主婦。株式会社アリベでは受注・財務面、そしてカリーニョでは趣味で研究してきた古今東西の19世紀~20世紀初頭の文化・様式・芸術の世界を紹介するコラム執筆を担当。 【これまでの実績】 全国のMR経験薬剤師が作る転職応援サイト『MRファーマシスト』にてマネーコラム連載。 新聞の文芸欄掲載多数。掲載作品はこちら(個人ブログ「私の読書遍歴」)

 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう