ふるさとの古寺のお茶会にて 弄花香満衣

茶道の禅語 春のお茶会の掛軸のことば

 

桜の残る、春の古寺で毎年恒例の大きなお茶会がありました。

私の祖父が眠る由緒あるお寺で、瀬戸内の海を一望できる高台にあります。

 

今回、初めてそのお茶会に呼ばれて表千家の茶席に参りました。お茶会は、4つの流派の茶道・煎茶の茶席が一堂に会し、毎年大勢の関係者で賑わいます。

 

EMIKO
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私も、20代の頃にお茶を習っていました。裏千家4年、表千家1年の足掛け5年です。結局初心者の粋を出ませんでしたが、私が学んだ3人の先生方は様々なお点前をさせて下さいました。基本の大棚、小棚はもちろんですが、立礼(りゅうれい)、茶箱、千鳥盆などもオママゴトみたいで大好きで、葉蓋(はぶた)手前なんかも、洒落っけがあって面白かったですね。

 

今回その表千家の茶席では、掛け軸に「弄花香満衣」が掛けられてありました。

茶道の代表的な禅語です。なぜ茶道に禅語が使われているかというと、それは茶道そのものが実は禅の化身だからです。

「茶道の文化とは本質的にいって、宗教のインカネーション(incarnation)である。(中略)つまり、茶道はその文化の面からみれば禅のインカネーションである。」

(『茶道の哲学』久松真一著 講談社学術文庫より)

ちょっと分かりづらいですが、インカネーションというのは、神様がイエス・キリストに肉体を与えて神というものを具現化したことを指しますので、つまり禅という曖昧で抽象的な概念を、具体的に行動してやってみること、それが茶道、ということなんだろうと私は思います。

 

「弄花香満衣」という言葉は、中唐の詩人干良史(うりょうし)の「春山夜月」という詩に出てきます。

 

掬水月在手 弄花香満衣

【書き下し文】

水を掬(きく)すれば、月、手に在り。

花を弄(ろう)すれば、香り衣に満つ。

 

「水をすくってみると、月が手の中に映っている。

花に戯れていると、自分の服に花の香りが充満した。」

春の夜の優雅さを歌った詩です。

 

この詩の解説は、神戸にある須磨寺の若き副住職陽人さんが書かれた随筆が興味深かったのでご紹介します。陽人さんは、これを教わった茶道の先生からこの詩のもう一つの意味を学んだそうです。

「お花見の季節にお接待を一生懸命した人が、家に帰り来ていた衣に花の香りが染み込んでいることに気が付いた。その人は、花の香りを染み込ませるために働いたわけではない。結果を求めず、目の前にあることに対して全力を注ぐことが、結果的に素晴らしいものを自分の中に取り込んでいることをこの話は教えてくれています。」(『陽人の随想録』要約)

 

目標をもって頑張ってみても、上手くいかないことは多々あります。人生は、上手くいかないことの連続ともいえるかもしれません。それでも、懸命に実践すれば、いつの間にか自分の中に経験が蓄積され、それが「実践しなかった人生」とは違う人生を運んでくるのではないでしょうか。

 

春雨が名残の桜に濡れそぼつ様子をみて、子どもの頃毎年ここで家族と従業員、薬屋さんたち(今のMR.MS)とに囲まれて、お弁当とカラオケ大会でもりあがった昭和の花見を思い出し、久しぶりにお茶の世界に足を踏み入れたことに、しみじみと懐かしい気持ちになりました。

 

【このページの文章を書いた人】 玄馬 絵美子(げんば えみこ)

株式会社アリベ 取締役 / マネーリテラシーアドバイザー / 薬剤師 カリーニョを運営する三姉妹の長女。薬局・病院で薬剤師として勤務後、現在、子育て中のアラフォー主婦。株式会社アリベでは受注・財務面、そしてカリーニョでは趣味で研究してきた古今東西の19世紀末~20世紀初頭の文化・様式・芸術の世界を紹介するコラム執筆を担当。 【これまでの実績】 全国のMR経験薬剤師が作る転職応援サイト『MRファーマシスト』にてマネーコラム連載。 新聞の文芸欄掲載多数。掲載作品はこちら(個人ブログ「私の読書遍歴」)

 

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