講座レポ「日本史から紐解くうつわの歴史〜第3回 バーナード•リーチ〜西洋と東洋の技術の融合〜

こんにちは
カリーニョスタッフのTomokoです。

1/27(木)近鉄文化サロンにて【日本史から紐解くうつわの歴史】第3回 バーナード•リーチ〜西洋と東洋の技術の融合〜が開講されました。

スリップウェアの器、リーチハンドルのポットなど

バーナード・リーチとは‥

20世紀を代表する、日本とイギリスの陶芸に大きな影響を与えたイギリス人のことで、日本各地にイギリスのスリップウェアなどの技術を伝え、日本の陶芸に進化をもたらした人物です。

1908年、リーチが21歳の時に「ロンドン美術学校」で高村光太郞(白樺派)と知り合ったことをきっかけに1909年に来日します。東京の上野で銅版画教室を開き、そこで「白樺派」を起こすメンバーと出逢います。

「白樺派」ってどんなグループだったか覚えてますか?
白樺派とは、武者小路実篤(公家華族)を中心に志賀直哉(武家)、柳宗悦(武家)など学習院メンバーが発行した雑誌『白樺』にちなんで称され、生まれながらにして身分の高い人々による文芸の啓蒙グループのことです。

わたしもよくわかってなかったのですが、実は彼らが『白樺』を通じて力を入れたのが(文芸よりも)美術の啓蒙だったようで、印象派絵画やロダンの彫刻などを日本に伝えたため、美術が新しい教養の要素に加わったようです。

民藝とは

そんな「白樺派」のメンバーである柳 宗悦(むねよし)が「民藝」(民衆的工藝品の略)という言葉と概念を作り出します。
民藝とは、名もなき職人の手で、民衆のために作られた生活道具です。近代化とともに昔ながらの道具が消えつつあった日本の工芸品の美しさを見出し、その土地の風土や暮らしが現れたものに良さがあると考えたのです。イギリスで起こったアーツ&クラフツ運動を起こしたウィリアム・モリスの影響も考えられるとされています。

民藝運動のメンバーだったリーチも柳らと全国を巡り、各窯の技法を学び、自らもスリップウェア(化粧土で装飾して焼き上げた陶器全般のこと)の技法の作陶指導をして回りました。リーチが教えたスリップウェアやリーチハンドルと呼ばれるハンドルを付けたカップやポットは今も各地で作られ続けているようです。

リーチは、香港で生まれ、幼少期は日本で過ごしていました。さらに、父親の仕事の影響でシンガポール、英国など引っ越しを繰り返すという体験は、定住地を求めない生活スタイルや宗教の改宗などその後の人生に大きな影響を与えたようです。
日本での個展の開催や講演など、まるで巡礼のように毎年来日し、作陶や指導を行い、最後の来日は1974年(87歳)でした。

千葉県我孫子の手賀沼にバーナード・リーチの碑があり、そこには、「私は東洋と西洋の結婚を夢見続けて来た」という彼の言葉が刻まれています。スリップウェアなどの作陶をすることで、自分の経験してきた東洋と西洋の文化の二面性、美しいという概念の二面性の融合を追求してきたのかもしれません。

生活に根差した道具の美しさ、[用の美]、リーチハンドルについて説明する亜美子先生。

この講座を聞いた週末に東京国立近代美術館で開催されている【民藝の100年】柳宗悦没後60年記念展に訪れてきました。
講座の直後だったこともあり、実際のバーナード・リーチの作品やその他の地域で作られたスリップウェア、この講座に登場した人物の作品や全国の民藝の数々を実際に見ることができ、非常に身近に感じられ、とても良い復習になりました。
講座を聴講してから美術展覧会に行くと、滲み込むように吸収することができ、目がキラキラするってこうゆうことを言うんだと体感することができます。ぜひ、皆様にもこの体験をして頂きたいと感じた講座でした。

今回は歴史とその人物に焦点を当てた全3回の講座でしたが、近鉄文化サロンで開講されているもう一つの講座では、やきものの観点からのお話が聞けます。

みなさんも私と一緒にお勉強しましょ。

興味のある方は、ぜひ、こちらから

募集内容はこちらをご覧ください

  【日本史から紐解くうつわの歴史】 近鉄文化サロン

皆さまのご参加をお待ちしております。申し込みは、近鉄文化サロンで受付しています。
ご不明な点がございましたら、カリーニョにもお気軽にお問い合わせくださいね。

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